三河 大給山中城
Ogyu yamanaka castle
大給山中城跡【愛知県豊田市九久平町入坂】
山中公民館【愛知県豊田市九久平町井戸入】
【立地】平山城
【歴史】時期、城主は不明である。1554年今川義元は三河支配の体制強化の為に三河へ
出兵した。三河山間部の転戦していた遠江国犬居城主天野景泰、二俣城主松井宗信は、15
55年「大給山中の戦い」に於いて大給松平親乗を相手に多大な損害を受けたと云う。場所
は山中集落の裏山で、現在は山林となり、曲輪、堀切が残る。
【所感】山中公民館前の道を東へ100m程進んだ「山中城の記」の看板、御社口大明神が
在る交差点から、北方に見える集落奥が城跡とされます。この交差点から集落へ入り、歩道
橋が架かる民家を過ぎ、右手「辰廻りの看板」の場所が登城口になります。200m程上る
と、右手に大給山中古戦場の看板が在り、この場所から左上の道150m程で山中城跡、そ
のまま400m程直進すると砦跡、大給山中古戦場看板手前の右手脇道を200m程進むと
、山中古戦場址の石碑に辿り着きます。山中城跡の入口に石積み・松平権兵衛重弘の墓碑が
在り、その背後に一段高くなって主郭らしき広い平坦地、南・北にも平坦地、東・西に腰曲
輪らしきものが在ります。松平観光自然歩道沿いに在ってウォーキングをする人にはお馴染
みと思いますが、県、市の資料、城のHPでは紹介されていません。以前から場所がよく分
からず、長い間、頭の隅に置いていましたが、たまたま別件で松平観光自然歩道を調べてい
て偶然見付けました。怪しさが漂いながらも、念願の訪城が出来て嬉しく思います。
山中集落内の辰廻りの看板
登城口・辰廻り
登城道
山中古戦場址の入口
山中古戦場址の石碑
大給山中古戦場の歴史看板
松平権兵衛重弘の墓碑
主郭へのスロープ
主郭の山中城址碑
主郭西側の腰曲輪
主郭南西隣りの副郭
副郭南西端の浅い堀切と土橋