信濃 大島城
Ohshima castle
大島城跡【長野県下伊那郡松川町元大島】
【立地】平山城
【別称】台城・大蛇ヶ城・猿ヶ鼻城
【町指定史跡】
【歴史】天竜川に隣接する標高491m、比高40mの丘陵上に築かれた城である。平治年
間(1159〜1160年)、舟山城主片切兵庫頭為行が末子源八郎宗綱に大島郷を分知し
、大島氏を称して大島城を築いたとされるが、確証は無い。武田氏の伊那攻略後、1571
年3月飯田城代であった秋山信友が武田信玄から大島城の改築を命ぜられ、この後、台城と
称した。1578年武田信廉が高遠城から移り、与力として小原忠継・日向大和守昌時・安
中七郎三郎・依田能登守が付いた。1582年2月織田信忠の侵攻の際、先ず下条九兵衛・
小笠原信嶺が降服して先導を勤め、14日夜、飯田城主坂西氏は防戦をしながらも敗走。1
6日大島城の武田信廉も不戦敗で高遠へ敗走した。1582年3月武田氏滅亡後に廃城にな
ったとされる。1972年町指定史跡となる。現在は台城公園と称され、曲輪、土塁、堀切
、横堀、井戸跡などが残る。
【所感】大島城跡〔台城公園〕は城跡内に舗装路が造られて遺構が分断されている点は残念
ですが、二重の丸馬出や曲輪を囲む横堀は見事なもので、流石、武田の城!と言いたくなる
遺構です。そんな横堀を曲輪から堀底から広角や望遠で撮る喜び。静岡県の諏訪原城跡や小
山城跡を思い出します。
丸馬出・二重の三日月堀
三の丸北側角の横堀
三の丸北堀
三の丸南堀
三の丸
三の丸と二の丸馬出を繋ぐ土橋
二の丸馬出
二の丸と馬出間の横堀
二の丸南堀
二の丸北堀
二の丸
二の丸と本丸間の堀切
本丸南堀
本丸
本丸北東下の稲荷神社
本丸北側の井戸跡