尾張 御粥屋敷
Okayu residence
御粥屋敷跡【愛知県愛西市立田町福原】
【立地】平地
【歴史】時期は定かではない。御粥藤左衛門の屋敷とされる。1160年義朝公死去の際、
村でお粥を捧げたことから、御粥氏を称したと云う。源義朝公が関東へ落延びようと、美濃
路から養老川を下って木曽川へ入り、当地に着いた。現地の人に空腹を伝えたら、上立田村
の藤左衛門と下立田村の三右衛門が御粥をくれた。義朝公はお礼として藤左衛門に御粥姓、
三右衛門に小粥姓、飯をくれた者に飯谷姓を与えたと云う伝説もある。場所は木曽川内とさ
れ、遺構は無い。
【所感】県道125号線立田大橋西信号を北へ進んだ東海広場の北端に位置します。広場の
北端から川岸へ歩いて行くと、川中へ向って並ぶ消波の石積みが見えますが、ココから1つ
北の石積みの間に在ったとされます。輪中と呼ばれるこの地は大雨で川の氾濫も多かった為
、御粥氏の在住期間は短かったのではないかと想像します。
木曽川に沈んだ御粥屋敷