三河 大沼城
Onuma castle
大沼城跡【愛知県豊田市大沼町八沢】
洞樹院【愛知県豊田市大沼町越田和17】
大沼駐在所【愛知県豊田市大沼町越田和37−3】
【立地】丘城
【別称】大沼村古城
【歴史】標高430m・比高30mの尾根端に築かれた城で、文明年間(1469〜1487年)、近
江国より来住した木村安信の築城と云う。平時は南麓の「八シャウ曲輪」に居館を構えて住み、有事に
城へ入ったとされる。安信は信仰心が厚く、1532年城の西に入宝山神宮寺〔洞樹院の前身〕を建立
して菩提寺とし、1533年城内で亡くなり、同寺院に葬られた。安信の嫡男で2代城主の新九郎信元
も信仰心にあつく、神宮寺西の山腹に若宮八幡を再建して崇敬した。1574年〔1571年とも〕4
月武田勢の攻撃で信元は討死、1575年大給城主松平乗正の二男松平飛騨守親〔近〕清が木村信元の
養子となって3代を継いだ。入宝山神宮寺を八沢山洞樹院に改称して菩提寺とし、城の南麓に荒神の宮
を建立して崇敬したが、1583年4月12日病没。4代近正は家康に従属し、戦功を重ね、1590
年家康関東移封に伴い、上州三の倉〔群馬県〕へ移り、廃城となる。現在は曲輪、堀切が残る。「足助
七城の一」
【所感】国道301号線根崎信号を北へ曲がり、県道77号線へ入ります。右手の大沼駐在所を過ぎて
脇道を左折すると、松平親清の菩提寺「洞樹院」が在ります。洞樹院の前に歴史看板、大沼城跡の標柱
が立ち、三の丸、二の丸、本丸と整備された丸太段で行くことが出来ます。ここまでが西曲輪群で、本
丸奥の土橋向こうから東曲輪群になります。最高部の主曲輪に祠が在り、背後に土橋、周囲に腰曲輪を
持っています。城郭内は様々な道が走り、訪城者に歩き易く、撮り易くなっています。
居館跡・ハジヤウ曲輪
大沼城跡の看板・城跡入口〔写真:左〕大沼城跡登城口〔写真:右〕
三の丸・西曲輪群〔写真:左〕二の丸・西曲輪群
主郭・西曲輪群〔写真:左〕主郭西側の腰曲輪・西曲輪群
主郭西側の腰曲輪北端の土塁・西曲輪群
西曲輪群×東曲輪群間の堀切
主郭西側の腰曲輪2東曲輪群〔写真:左〕主郭西側の腰曲輪1・東曲輪群〔写真:右〕
主郭南側の腰曲輪・東曲輪群〔写真:左〕東曲輪群の主郭〔写真:右〕
東曲輪群北端の土橋〔写真:左〕大沼城主の菩提寺・洞樹院〔写真:右〕