遠江 刑部城
Osakabe castle
刑部城跡【静岡県浜松市北区細江町中川】
ENEOS中川SS池田屋商店【静岡県浜松市北区細江町中川5655】
【立地】丘城
【別称】阿黄山紫城
【歴史】築城年は不明。一説には天方越中守の居城と伝わり、今川義元の時代は新田美作入
道の居城であったとされる。1568年家康の遠江侵攻の際、三河国野田の菅沼新八郎定盈
や井伊谷三人衆〔近藤康用・菅沼定久・鈴木重時〕の道案内で遠州へ入り、庵原庄太郎忠良
・長谷川次郎右衛門秀匡が護る刑部城を菅沼定盈らが攻め、落城した。その後、菅沼又左衛
門・松下常慶が居たと云う。廃城年は不明。現在は金山神社・雑木林に変わり、曲輪、堀切
、土塁、井戸跡が残る。
【所感】国道362号線・県道49号線・県道261号線が交わる気賀四ツ角信号交差点か
ら南東の県道261号線を進み、都田川に架かる落合橋を経て、ENEOSガソリンスタン
ドを過ぎると、感応式信号交差点が在ります。この交差点に刑部城址の看板が立っています
が、城跡の看板はこれだけで現場には有りません。この看板の背後が刑部城跡の本曲輪です
。感応式信号交差点から90m程進んだ脇道を左折し、更に90m程進むと、左手に二の曲
輪の金山神社が見えて来ます。二の曲輪(金山神社)や堀切は確認出来ますが、本曲輪は竹
が密集して入れません。
二の曲輪・金山神社
二の曲輪−本曲輪間の堀切
県道261号線(姫街道)から見た本曲輪
“金襴の池”の看板〔写真:左〕刑部城址の看板・県道261号線沿い〔写真:右〕