三河 大島陣屋
Oshima jinya
大島陣屋跡【愛知県豊田市東大島町林4】
追分小学校【愛知県豊田市近岡町馬橋4】
西屋商店【愛知県豊田市東大島町トウノ前24】
大島駐在所【愛知県豊田市東大島町トウノ前26−2】
【立地】山麓
【別称】石川家陣屋
【歴史】1651年伊勢国亀山藩主石川忠総の四男上野阿波守貞当(貞當)が加茂・額田郡内7000
石で構えた陣屋である。貞当は外祖母の上野姓を名乗っており、従五位下・阿波守に叙せられ、165
3年に没した。子の義当より石川姓を名乗るようになり、総乗−総因−総為−総恒−総武−総登−総邦
と続き、明治に至る。旧大島村にはもう1つ、1600〜1619年に鈴木伊直が2000石で陣屋を
構えた記録があるが、同地かは不明である。現在は民家となり、曲輪、井戸、石垣、土蔵が残る。
【所感】国道153号線・県道358号線・県道39号線が交わる追分信号交差点から、巴川に沿って
県道39号線を南下し、右手の追分小学校、西屋商店を経て、大島駐在所から120m進んだ右手の脇
道を入ると、大島集落になります。地図で見ると、オーバルのような道の最奥の家になりますが、石垣
により田地より高い敷地に家が建っています。現在は石川家は住んでいませんが、お宅を訪ねたら大島
陣屋絵図を下さり、絵図に載っていない井戸は現在も飲み水として使えること、土蔵の状態が良くない
のでトタンで囲ったこと、現在は三段分しか見えていない石垣は、本当は五段あることなど、丁寧に説
明して頂きました。絵図に描かれている2ヶ所の井戸は埋められて、場所も定かではないようです。温
厚な老夫婦で、帰りにコゴミ〔和名:クサソテツ〕を手土産に頂きました。
現役の井戸〔写真:左〕土蔵〔写真:右〕
石川家陣屋跡の看板〔写真:左〕一段目の石垣〔写真:右〕
二段目の石垣
四段目の石垣