尾張 長田屋敷
Osada residence
長田屋敷跡【愛知県知多郡美浜町野間字下高田】
野間小学校【愛知県知多郡美浜町野間字石名原70】
野間大坊・大御堂寺【愛知県知多郡美浜町野間字東畠ケ50】
野間灯台【愛知県知多郡美浜町小野浦字岩成】
【立地】平地
【歴史】築城年は定かではないが、尾張国野間〔愛知県知多郡美浜町〕を拠点とする長田忠
致、景致父子の屋敷とされる。1159年「平治の乱」で破れた源義朝〔頼朝、義経の父〕
は源氏ゆかりの武士が多い東国へ、鎌田正清らと敗走していた。美濃から伊勢湾に出て内海
にたどり着いた一行は、正清の妻の父長田忠致のもとへ身を寄せることにした。1160年
忠致、景致父子は平家から咎められるのを恐れ、恩賞目当てに義朝を浴室で討ち、その首を
六波羅の平清盛に差し出したと云う。現在は梅林となり、遺構はない。西方の大御堂寺〔野
間大坊〕に源頼朝公御廟が在る。
【所感】国道247号線を南下し、野間小学校を過ぎた辺りから県道277号線へ入ると、
左手に野間大坊が在ります。伏見桃山城より移築された客殿、源頼朝が建立したという大門
、源義朝、鎌田政家夫妻の墓、血池〔義朝の首を洗ったと伝わる池〕など、大御堂寺を含め
た広い敷地内には義朝ゆかりのものが多く、知多半島では有名なお寺の1つです。屋敷跡は
血池前の道を東へ100m程進んだ梅林地で、道沿いに下高田遺蹟・長田屋敷跡の看板が立
っています。
長田屋敷跡・梅林〔写真:左〕移築 伏見桃山城客殿・野間大坊〔写真:右〕
大御堂寺・野間大坊〔写真:左〕源義朝公御廟・大御堂寺〔写真:右〕
鎌田政家・妻平氏の墓・大御堂寺〔写真:左〕織田三七信孝卿の墳墓・大御堂寺〔写真:右〕
野間灯台