尾張 尾張氏館
Owari yakata

  尾張氏館跡【愛知県名古屋市熱田区神宮3丁目】
 氷上姉子神社【愛知県名古屋市緑区大高町火上山1−3】
きよめ餅総本家【愛知県名古屋市熱田区神宮3丁目7−21】
   熱田神宮【愛知県名古屋市熱田区神宮1丁目1−1】


【立地】平地

【歴史】沓脱島と呼ばれた氷上丘陵〔火上山〕の一角に尾張国造〔尾張氏〕の祖乎止与命〔おとよのみ
こと〕と娘の宮簀媛命〔みやすひめのみこと〕の館が在ったと云う。195年媛が亡くなると、館跡地
に氷上姉子神社が建ち、690年氷上姉子神社が丘陵の麓へ移ると、その神社跡地〔館跡地〕に熱田神
宮元宮が鎮際された。天喜年間(1053〜1057年)頃、熱田大宮司尾張員頼は熱田神宮東門の前
辺り、往時、海浜だった場所に島を築いて住み、その地は田島と呼ばれた。同じ頃、尾張員頼の末弟員
職は娘婿に藤原李兼を迎え、その子李範を藤原姓で大宮司とし、員頼は田島氏〔田島に住む〕、信頼は
馬場氏〔白鳥に住む〕と改名して権宮司に就いた。その後、熱田大宮司は藤原李範の子範忠〔李忠〕と
範雅の2系統間で往き来する形で継がれ、いつしか千秋氏を名乗り、明治まで続いた。

【所感】熱田神宮の東門前一帯が旧称「田島」とされますが、具体的な場所は分かりません。天保15
年〔1844年〕尾張志附図熱田図には東門の東側に秋月院と「祝詞師田島氏」と書かれたエリアがあ
り、西門の西側に「惣検校馬場氏」と書かれたエリアが見られます。



 

宮簀媛命(乎止与命の娘)宅址の石碑〔写真:左〕尾張氏館跡辺り・神宮東門前辺り〔写真:右〕

 

熱田神宮本宮〔写真:左〕熱田神宮の大楠・樹齢1000年以上〔写真:右〕