三河 佐脇城
Sawaki castle
佐脇城跡【愛知県豊川市御津町下佐脇字郷中】
佐脇刀祢太夫の墓【愛知県豊川市御津町下佐脇字市場】
正眼寺【愛知県豊川市御津町下佐脇字郷中23−1】
本見寺【愛知県豊川市御津町下佐脇字花ノ木85−2】
【立地】平城
【別称】佐脇村古城
【町指定史跡】
【歴史】築城年は定かではない。室町幕府奉公衆に佐脇右京亮明秀の名が見られ、近くに墓と称するも
のがあることから、この時期に築かれた居館が始まりと思われる。その後、伊勢に拠点を移した為、生
田氏が佐脇の領主となり、15世紀中期、田代を本拠とする奥平定勝の所領に変わり、一族の奥平兵庫
助信近の居城となった。1562年松平元康が東三河へ進出すると、今川勢は佐脇砦に板倉弾正重定、
八幡砦に三浦左馬助義就を配して応戦したが、松平勢の勢いに落城、佐脇安信が入る。1563〜15
64年「三河一向一揆」に苦戦している間に今川氏が奪回。1564年東三河へ侵出の際、家康が再び
奪回して佐脇刀称太夫の居城となるが、1575年「長篠、設楽ヶ原の戦い」で戦死、廃城となる。現
在は住宅に変わり、石碑が立つ。
【所感】正眼寺の東、本見寺北西の川が北へ湾曲した内側に位置し、嘗ては朝日工業豊橋工場が在りま
したが、現在は住宅地になっています。住宅地内の下佐脇ちびっ子広場に佐脇城跡の石碑と佐脇城跡の
歴史が立っています。佐脇刀祢太夫の五輪塔は下佐脇字市場の県道384号線沿いに在ります。
佐脇城跡の石碑・下佐脇ちびっ子広場〔写真:左〕佐脇刀祢太夫の墓〔写真:右〕