越後 新発田城
Shibata castle
新発田城跡【新潟県新発田市中央町6丁目4】
新発田公園【新潟県新発田市中央町6丁目3】
陸上自衛隊新発田駐屯地【新潟県新発田市大手町6丁目4−16】
【立地】平城
【別称】舟形城・菖蒲城・浮舟城・狐尾曳ノ城
【国指定史跡】新発田城跡
【国重要文化財】新発田城表門、旧二の丸隅櫓
【歴史】室町時代、鎌倉御家人佐々木加地氏の一族新発田氏が居館を構えたことに始まる。
1587年新発田重家×上杉景勝の7年間の抗争の末、落城となった。1598年豊臣秀吉
の命により、溝口伯耆守秀勝が加賀大聖寺4万4000石に1万6000石を加増され、6
万石で入封。2代宣勝は弟善勝に1万石を分与し、5万石となる。1654年3代宣直の時
、本丸内の建物も含め、全城郭が完成したと云う。宣直の後、重雄−重元−直治−直温−直
養−直候−直諒−直溥と続き、直正で明治を迎える。現在は新発田城址公園、陸上自衛隊駐
屯地に変わり、2004年三階櫓、辰巳櫓が復元され、新発田城表門、旧二の丸隅櫓が現存
として残り、国重要文化財に指定されている。
【所感】新潟県初上陸で訪城第1号の城です。本丸南半分は無料で入ることが出来、旧二の
丸隅櫓、辰巳櫓、表門を内側から見ることが出来、御三階櫓は陸上自衛隊新発田駐屯地内と
なるため、二の丸のみの眺めとなります。水堀は本丸を囲む2辺に残り、建物も堀に沿って
4つ在ります。本丸西の二の丸跡地は、現在、新発田公園として駐車場、トイレ、東屋が設
置され、大松を中心に広大な芝生地になっています。多くの人が寛ぎ、運動をしている人が
居、市民の憩の場になっていることが、一目で分かりました。
復元 三重三階 御三階櫓
二重二階 旧二の丸隅櫓【国重要文化財】
本丸表門【国重要文化財】〔写真:左〕本丸表門内部〔写真:右〕
新發田城の石碑〔写真:左〕復元 二重二階 辰巳櫓〔写真:右〕