三河 椎城
Shii castle
椎城跡【愛知県豊田市則定町本郷・寺田・下コンノ】
則定小学校【愛知県豊田市則定町本郷5−1】
則定集会所【愛知県豊田市則定町本郷25】
【立地】山城
【別称】則定村古屋敷
【歴史】羅漢山〔標高220m・比高120m〕山頂に築かれた山城である。酒呑城主鈴木次郎左衛門
重信の子鈴木三郎左衛門重政(1527〜1559年)が則定城主になったとある為、同時期の16世
紀中期に築かれたと思われる。城主は重政の子鈴木忠兵衛重次(1558〜1628年)、重次の長男
正三(1579〜1655年)・次男重成(1594〜1653年)とされる。その他、鈴木十内、鈴
木重氏(1601〜1660年・酒呑陣屋・1120石)の名もある。現在は山林となり、曲輪、堀切
、土塁が残る。
【所感】椎城跡の登城口は則定小学校裏の鈴木正三史跡公園に在ります。則定小学校東横の道を上り、
小学校グランド→熊埜〔熊野〕神社→家康公ゆかりの「虎の神」→心月院跡→鈴木正三・重成公像→正
三堂〔東屋〕を経て、丸太橋が登城口〔正三みちロマンコースの看板有り〕です。急勾配の丸太段を登
り切ると、心月院からの道とぶつかり、ここを左折します。暫く進むと、二又に別れ、左は慈本豪英尼
が修行した十六羅漢の場所〔行き止まり〕、右が椎城跡方面になります。城郭の入口は二の丸東端の深
い堀切です。城郭の東端でもあり、東方に続く尾根をここで遮断しています。堀切を通って直ぐに左へ
折れると、二の丸へ上る丸太段です。二の丸は東西に長い曲輪で、中央に位置する鈴木重氏墓碑の場所
で竪堀を設けて曲輪が細くなり、1m程高くなります。このように曲輪内で変化を持たせるやり方は本
丸でも見られ、三の丸へ繋がる北側部分は2m程低くなって別曲輪のように在ります。三の丸も東西に
細長い曲輪の中央部に土橋を設け、曲輪を二分する形をとっています。このように敵兵の障害となる工
夫が施されている曲輪を別の曲輪と見るか、同じ曲輪と見るか、見る人によって捕え方は違いますが、
私は後者と思っています。その他、本丸と二の丸間にも堀切が在りますが、この場所は二の丸北側の腰
曲輪と本丸南側の腰曲輪が繋がるポイントでもあり、堀切と見るか、切通しと見るか難しいところです
。何が正解か分かりませんが、城郭内を周りながらこんなことを考えている時が最も楽しい時間です。
椎城跡遠景
熊野神社〔写真:左〕虎の神・三つ葉葵有り〔写真:右〕
居館跡か・鈴木正三史跡公園
登城口・正三みちロマンコース〔写真:左〕左折地点・羅漢山 椎城跡方面〔写真:右〕
十六羅漢・慈本豪英尼修行の場〔写真:左〕Y字地点・椎城跡方面は右〔写真:右〕
椎城跡東端の堀切〔写真:左〕二の丸入口〔写真:右〕
二の丸東端の土塁〔写真:左〕當椎城主鈴木重氏の墓碑・二の丸〔写真:右〕
二の丸
本丸−二の丸間の堀切〔写真:左〕椎城跡の看板・本丸〔写真:右〕
本丸
二の丸へ延びる本丸〔写真:左〕本丸の北曲輪〔写真:右〕
三の丸の東曲輪〔写真:左〕三の丸の西曲輪〔写真:右〕
本丸南側の切岸