三河 椎木屋敷
Shiinoki residence
椎木屋敷跡【愛知県刈谷市銀座6丁目】
亀城小学校【愛知県刈谷市城町1丁目25−1】
亀城公園【愛知県刈谷市城町1丁目】
城町図書館【愛知県刈谷市城町1丁目24】
【立地】丘地
【別称】椎の木屋敷
【市指定史跡】
【歴史】1541年、刈谷城主水野忠政の娘「於大の方」は、14才で岡崎城主松平宗家8代広忠に嫁
ぎ、1542年竹千代〔家康〕を産む。1543年父忠政が亡くなると、水野家は於大の兄信元が継い
だ。1544年信元は今川から織田方へ与したことで、於大は広忠と離縁することになる。刈谷へ帰っ
た於大の方は、形原松平氏から離縁された姉於上と共に、1547年坂部城主久松信俊と再婚するまで
、刈谷城と谷を隔てた東の丘「椎木屋敷」に住んだと云う。江戸時代、一般者の立ち入りが禁じられ、
椎の木が生える刈谷城外の霊地であったと云う。現在は庭園、宅地に変わり、遺構は無い。
【所感】亀城小学校の1本東側の道沿いに石碑が立っています。石碑横の坂道を上ると、歴史看板、椎
の木屋敷由来碑、於大乃方由緒乃地の石碑、庭園、於大の方像などが在ります。また、亀城小学校西側
の道沿いには、「刈谷城大手門跡」の石碑、城町図書館の前には刈谷藩の藩校「文禮館跡」の石碑が立
っています。刈谷城跡〔亀城公園〕へ来た際は、椎木屋敷跡も歩いて行けますので、是非どうぞ!
椎の木屋敷跡の石碑〔写真:左〕西側から見た椎木屋敷跡〔写真:右〕
於大の方像〔写真:左〕於大乃方由緒乃地の石碑〔写真:右〕