三河 下屋敷古屋敷
Shimoyashiki old residence

 下屋敷古屋敷跡【愛知県豊田市坂上町乗越2】
松平隼人助親正墓【愛知県豊田市坂上町鎌田】
   古六所神社【愛知県豊田市坂上町阿知田】
     蓮生寺【愛知県豊田市坂上町中屋敷35】
  六所神社下宮【愛知県豊田市坂上町地蔵堂23】
  六所神社上宮【愛知県豊田市坂上町六所山1】
   豊松小学校【愛知県豊田市坂上町郷敷1−1】

【立地】平地

【本目松平家】

【歴史】1521年頃、大給松平家初代乗元の三男松平隼人助親正が、大給城北
側の抑えとして居館を構えたことに始まる。2代親継−3代親光と続き、4代正
光は家康の命により「本目氏」を称する。正光の面体が信長家臣木村本目之助に
似ていたことが理由とされる。5代正久を経て、6代直信は、1590年家康関
東移封に伴い、三河を離れたと云う。現在は民家に変わり、遺構は無い。


【所感】豊田市立豊松小学校北側の仁王橋〔仁王川〕横の民家が屋敷跡と云われ
、民家裏に石垣で築かれた段々畑が在ります。ここから東方400mに本目氏が
代々住職を務めた本目山蓮生寺が在り、更に南東1200m程に六所神社の下宮
、六所山〔標高606m〕山頂に上宮が在ります。古くは吉木山とも蜂ヶ峰と呼
ばれた六所山は、それまで山頂に在った蜂ヶ峰神社を後方の峰に移し、松平宗家
初代親氏が奥州塩釜六所明神を勧請して山頂に六所神社を創建して以来、六所山
と呼ばれるようになりました。1527年冬の野火で全焼した上宮は、松平宗家
5代長忠、6代信忠によって再建されています。六所明神を蜂ヶ峰に奉祠する前
、一時期奉斎された地が古六所神社です。下屋敷古屋敷跡北方の山に本目家の祖
松平隼人助親正の墓が在ります。以前から場所が分からなくて訪ねることが出来
ませんでしたが、坂上町日面のブドウ畑から天下峰へ向かう山道の途中に在るこ
とを知り、念願叶って到達出来ました。






下屋敷古屋敷跡・民家



民家裏の段地


 

本目家の祖松平隼人助親正の墓〔写真:左〕本目山蓮生寺〔写真:右〕

 

古六所神社〔写真:左〕六所神社下宮〔写真:右〕