紀伊 新宮城
Shingu castle

新宮城跡・丹鶴城公園【和歌山県新宮市新宮】
     正明保育園【和歌山県新宮市新宮7694】
全龍寺・堀内新宮城跡【和歌山県新宮市千穂1丁目9−29】
     水野家墓所【和歌山県新宮市橋本1丁目】

【立地】平山城
【別称】丹鶴城・沖見城

【国指定史跡】新宮城跡 附水野家墓所

【歴史】当地は“田鶴原”と呼ばれ、鶴の渡来地であったと云う。熊野三山〔熊野本宮大社
・熊野速玉大社・熊野那智大社〕の統括役である熊野別当9代殊勝が別邸を営み、11代快
真は屋敷を築き、代々居住地であった。平安時代末期、熊野別当の娘に六条判官の源為義が
通って一男一女をあげた。女子は丹鶴姫と云い、成人して19代別当行範に嫁いで、田鶴原
の女房と云われた。以後、この山を丹鶴山と呼ぶようになり、新宮城も後に丹鶴山と名付け
られた。また、この山から熊野灘〔太平洋〕が望めることから、沖見城とも呼ばれた。16
00年「関ケ原の戦い」の後、1601年10月浅野幸長が和歌山37万6000石で入国
した際、新宮領2万8000石を与えられた家臣浅野忠吉が、熊野川(新宮川)河口右岸の
丹鶴山〔標高50m、比高40m〕に築城したのが始まりで、翌1602年に完成した。1
615年「一国一城令」により取り壊されるが、1618年幕府の許可で縄張り、再建に着
手した。しかし、1619年忠吉は完成間近で備後国三原へ転封となった。徳川頼宣が55
万5000石で和歌山藩主になると、幕府は附家老安藤直次を田辺城、附家老水野重仲を新
宮城〔紀伊国東牟婁・海草両郡の一部+伊勢国南牟婁を含む145ヶ村3万5000石〕に
就かせた。水野重仲は浅野氏の築城工事を引き継ぎ、1633年2代城主重良の時に完成し
たと云う。1664年地震で松の丸が崩れ、1667年3代重上の時、増築が完成、現在の
残る城郭が完成した。1619年重仲−1623年重良−1658年重上−1707年重期
−1712年忠昭−1749年忠興−1763年忠実〔忠寄〕−1822年忠啓−1835
年忠央−1860年忠幹と、水野氏が10代に亘って和歌山藩附家老を勤めた。9代忠央は
和歌山藩主徳川慶福を幼時期からの補佐役を勤め、権力を操り、專断の振る舞いが目立つよ
うになった。1853年黒船来航の世相の中、文武奨励・藩体制維持を叫ぶが、領内から多
くの非難を浴びた。1857〜1858年頃、13代将軍家定が生来病弱で世継ぎが無かっ
た為、将軍継承問題で南紀派の中心人物として活躍し、井伊大老と結び、紀州徳川家の慶福
を擁立し、一橋派と対立。結果、14代将軍は家茂〔慶福〕、15代将軍は〔一橋〕慶喜と
なる。1860年6月忠英の跡を継いだ忠幹は活発で度量があり、謹直で徳望が篤かった。
1866年6月「第二次長州征伐」の際、江戸隊を率いて先鋒となり、安芸国佐伯郡大野村
へ進撃。「芸州口の戦い」で彦根藩井伊家や高田藩榊原家の大敗のあとを受けて孤軍奮闘し
、“鬼水野”の勇名を轟かせた。1869年6月忠幹は版籍奉還して新宮藩知事に任ぜられ
、1871年廃藩置県を迎える。1873年廃城令の公布により、1875年新宮城の建造
物が解体された。昭和時代の戦後、城跡に旅館・ケーブルカー・遊具・ビヤガーデンなどが
設けられ、1979年10月市が城跡を買収し、城跡を史跡として保存することになった。
2003年国史跡に指定、2017年続日本100名城に選定された。現在は丹鶴城公園と
称され、曲輪、石垣などが残る。


【所感】熊野川〔新宮川〕河口南岸で、紀勢本線が貫通する独立した山が新宮城跡です。世
界遺産「熊野速玉大社」の東方900mに位置します。熊野大橋辺りから山上に石垣が見え
ますが、全ての木を取り除いたら「天空の城」に見えそうな感じです。石垣が多く残る城跡
ですが、曲輪や門などに標柱や詳細の説明板、曲輪の外周を歩けるような遊歩道が有ったら
最高です。





丹鶴山の中を走る紀勢本線

 

駐車場入口の丹鶴城公園の看板〔写真:左〕駐車場に立つ丹鶴城公園の看板〔写真:右〕







出丸





本丸北面の石垣









本丸大手





本丸搦手




丹鶴姫之碑・本丸





本丸



崩れた天守台の矢穴







本丸の石垣



本丸南側の曲輪



配水池・曲輪か



「日本一短い」ケーブルカーの軌道跡



鐘ノ丸−本丸間の曲輪



鐘ノ丸−本丸間の曲輪から見た水の手





鐘ノ丸南面の石垣





鐘ノ丸



鐘ノ丸北端の桝形虎口





松ノ丸

 

 

松ノ丸から水の手へ降りる石段







水の手の石垣



松ノ丸から大手道へ降りる桝形虎口



大手道横の石垣



丹鶴城公園入口







二ノ丸南面の石垣・正明保育園







水野家墓所