三河 篠束城
Shinozuka castle
篠束城跡【愛知県豊川市篠束町大堀】
医王寺【愛知県豊川市篠束町郷中98−1】
【立地】平城
【別称】篠束村古城
【歴史】1336〜1339年篠塚伊賀守重広〔群馬県邑楽郡邑楽町字篠塚の出〕の築城とされ、新田
義貞の四天王・十六騎の一人として知られる。新田義貞・弟の脇尾義助に従って各地を転戦し、義助死
後、大館氏明と伊予の世田城にあったが、1342年足利尊氏の命で細川頼春が来攻、力戦の後に落城
。氏明は自害、重広は奮戦して重囲を破って脱出、隠岐へ逃れて没したと云う。その後、西郷内蔵助俊
雄・西郷彦三父子の居城となる。1336年足利尊氏は一旦九州に落ちて、後に大挙上洛に当って仁木
頼長・一色頼行を九州に留め、少弐・大友の諸氏と九州を鎮めた時、有馬氏の一族西郷弾正〔肥前国高
来郡西郷〕は仁木氏に属して功をあげ、仁木義長が三河国守護となって帰国する時に伴って三河に入り
、額田郡幸田町大草に住み、更に八名郡嵩山へ移ったとされる。その他、城主に岩瀬雅楽助の名がある
。現在は宅地、畑地に変わり、遺構は無い。
【所感】国道1号線、県道495号線、県道373号線の三方に囲まれた畑地の中心に「篠束城の堀跡
」の看板が立っています。現在は碁盤目状に土地改良が入り、看板に書かれている堀跡はありません。
看板の場所は篠束町大堀エリアの北端に在ります。
「篠束城の堀跡」の看板〔写真:左〕松風碑・西郷弾正の墓・医王寺〔写真:右〕