三河 新城城
Shinshiro castle

 新城城跡【愛知県新城市西入船・東入船】
新城小学校【愛知県新城市西入船76】
  大善寺【愛知県新城市西入船22】
  宗堅寺【愛知県新城市宮ノ前48】

【立地】丘城
【別称】新城今城・新城陣屋

【市指定史跡】

【新城藩】1606〜1645年

【歴史】豊川に隣接する標高52mの段丘端に位置し、1575年、家康の長女亀姫を正室
に迎えた奥平信昌が築いた城である。1590年家康の関東移封に伴い、信昌も上州宮崎へ
移り、その後、片桐正義が入る。1606年尾張国緒川から水野分長が三河国設楽・宝飯郡
内1万3000石で入り、新城藩を立藩した。1616年近江国栗太郡2000石の加増を
受けたが、1620年徳川頼房に附属した為、三河の旧領1万石は嫡子元綱に与えられ、分
長は安房・上総国内で1万5000石を与えられた。1645年元綱は上野国安中藩2万石
へ転封となり、新城藩は一時廃藩となる。1648年丹波国亀山藩主菅沼定昭の弟菅沼摂津
守定実が7000石で陣屋を構え、その後、定易−定用−定庸−定前−定賢−定邦−定志−
盈富−定信−定長と、幕末まで11代続いた。現在は小学校に変わり、堀、土塁が残る。

【所感】新城小学校の敷地全体が城域で、城跡の石碑はグランド南東の土塁上に在ります。
校舎横の「城あと新城小物語」にもありますが、城跡であること意識した活動、遺構保存に
努めて欲しいと思いました。奥平信昌の正室亀姫の墓は大善寺、新城菅沼家の墓は宗堅寺に
有ります。




新城城跡の看板と新城城址の石碑・新城小学校グランド南東の土塁



城址碑が立つ土塁・新城小学校グランド南東



新城開府四百年の石碑・新城小学校グランド南西の土塁上



宗堅寺



新城菅沼家墓所・宗堅寺






新城菅沼家初代〜11代の墓〔宗堅寺〕と亀姫の墓〔大善寺〕