駿河 賤機山城
Shizuhatayama castle

     賤機山城跡【静岡県静岡市葵区大岩・籠上・昭府町】
    静岡浅間神社【静岡県静岡市葵区宮ケ崎町102−1】
      麓山神社【静岡県静岡市葵区宮ケ崎町103】
       臨済寺【静岡県静岡市葵区大岩町7−1】
今川義元公墓・富春院【静岡県静岡市葵区大岩本町26−23】

【立地】山城
【別称】臨済寺城・賤波多山城

【歴史】築城年代は南北朝時代(1336〜1392年)駿河北朝方の今川家3代範国〔〜
1384年〕×南朝方の安倍城主狩野氏との抗争期、駿河支配が安定する6代範政〔136
4〜1433年〕期、戦国大名として自立した9代氏親〔1473〜1526年〕期の3説
があって定まらない。安部川の東、竜爪山から静岡平野へ向かって細長く延びる丘陵上・賤
機山〔標高176m・比高137m〕に築かれた城で、今川館の詰城と云われる。1568
年武田信玄の駿河侵攻によって支配下となり、1582年徳川家康の駿府入府の際に廃城に
なったとされる。現在は公園、遊歩道、山林となり、曲輪、土塁、堀切などが残る。


【所感】南麓の静岡浅間神社境内をあちこち探したが、賤機山城跡の登城口を示す標柱や看
板が無い。結果、八千戈神社横の百段から麓山神社へ進み、神社左手の賤機山ハイキングコ
ース=登城道だった。救世観音〔浅間山・静岡市戦禍犠牲者慰霊塔〕までは歩き易いコース
だが、救世観音から先〔観音様右手から〕は道が険しくなる。遺構の始まりは大堀切→二の
曲輪〔南に土塁〕→細い尾根→本曲輪〔土塁・城址碑・看板〕→三の曲輪〔草地〕→北端の
堀切に至る。各曲輪に自生の茶の木が見られるように、嘗ては茶畑だったエリアもある為、
茶畑・道の造成で土塁や堀切が消失している可能性もある。



 

東雲神社・丸山東照宮・八雲神社〔写真:左〕少彦名神社【国重要文化財】〔写真:右〕

 

神部神社・浅間神社 大拝殿【国重要文化財】〔写真:左〕八千戈神社【国重要文化財】〔写真:右〕




百段・麓山神社参道・賤機山ハイキングコース始点



賤機山古墳

 

麓山神社参道



麓山神社【国重要文化財】〔左に登城口〕



 

 

賤機山ハイキングコース〔登城道〕



浅間山頂・救世観音〔静岡市戦禍犠牲者慰霊塔〕・賤機山ハイキングコース〔登城道〕




城郭南端〔二の曲輪南側〕の堀切









二の曲輪









本曲輪





土塁の囲まれた穴蔵地形・本曲輪



三の曲輪へ下りる道



三の曲輪・草地



堀切へ下る道



城郭北端の堀切





松平竹千代が幼少期に太原雪斎から手習いを受けた臨済寺



今川廟・臨済寺



今川義元公墳墓之旧蹟・富春院