尾張 勝幡城
Shobata castle
勝幡城跡【愛知県稲沢市平和町城之内・城西】
やすらぎ荘【愛知県稲沢市平和町城之内105−3】
名鉄勝幡駅【愛知県愛西市勝幡町五俵入2266】
【立地】平城
【市指定史跡】
【歴史】永正年間(1504〜1521年)頃、信長の祖父織田弾正忠信定の築城とされる〔織田良信
築城説も〕。1510年信長の父織田信秀が生まれる。尾張守護職は斯波義統、守護代は尾張上四郡〔
丹羽・羽栗・中島・春日井〕を統治する岩倉城主織田伊勢守信安と、尾張下四郡〔海東・海西・愛知・
知多〕を統治する清洲城主織田大和守達勝の織田氏二家であった。織田達勝には清洲三奉行と呼ばれる
老臣〔織田因幡守・織田藤左衛門・織田弾正忠〕がおり、弾正忠家の信定・信秀は、自らの活躍によっ
て次第に頭角を現す。1527年信秀が家督を継ぐ。1534年5月28日当地で吉法師〔織田信長〕
が生まれ、1538年〔1532年説も〕父信秀が今川氏豊より那古野城を奪取して移ったとされる。
現在は住宅、田畑に変わり、石碑が立つ。
【所感】勝幡城跡は領内川・日光川・三宅川合流点に位置し、現在は日光川で分断されて跡形もありま
せん。一様、城址碑が日光川東岸に2ヶ所在ります。1つは日光川に架かる嫁振橋東側のやすらぎ荘横
、もう1つは嫁振橋東側の川沿いの道を280m程南下した左手に在ります。城域の北端は嫁振橋辺り
、南端は日光川西岸の神明社辺りとされ、南北に長い方形の城だったようです。往時の城を象ったジオ
ラマが、名鉄津島線勝幡駅前に織田信秀夫婦像と共に在ります。
織田信秀と土田御前に抱かれた幼少期の信長・名鉄津島線勝幡駅前
勝幡城址の石碑〔写真:左〕城跡を二分する日光川〔写真:右〕
織田弾正忠平朝臣信定古城蹟の石碑〔写真:左〕勝幡城址の木碑〔写真:右〕