伊勢 正法寺山荘
Shoboji temple mountain villa

    正法寺山荘跡【三重県亀山市関町鷲山】
  亀山市役所関支所【三重県亀山市関町木崎919−1】
亀山市関文化センター【三重県亀山市関町泉ヶ丘1011−1】
    かめやま整体【三重県亀山市関町鷲山485−18】

【立地】丘城
【別称】羽黒城

【国指定史跡】正法寺山荘跡

【歴史】永正年間(1504〜1521年)、関民部大輔盛貞が羽黒山〔標高290m〕の
麓に京都大徳寺の末寺として羽黒城跡に創建したものである。平家を先祖とする関氏は亀山
城を本城とし、神戸城、国府城、峯城、鹿伏兎城を一族で固めた北伊勢の土豪である。盛貞
は何似斎と称し、宗鉄と号した。何似斎は宗長・宗硯や宋世〔飛鳥井中納言雅康〕らと交流
があり、『宗長手記』『富士歴覧記』にも正法寺の名がみえる。永禄年間の終わりから天正
年間の初め(1570年代)頃、正法寺を廃し、江戸初期まで小庵が存続したと伝わる。現
在は桜の名所として親しまれ、曲輪、土塁、井戸跡、排水溝石積み、建物礎石が残る。

【所感】亀山市役所関支社の東側のバス道を北上。途中、亀山市関文化センター→小野川に
架かる鷲山橋→かめやま整体を経て、1キロ程走った突き当りに『←正法寺山荘跡』の看板
。ここを左折して200m走った電柱にも『←正法寺山荘跡』の看板、ここも左折して20
0m程走ると、橋の袂に『正法寺山荘跡→』の看板と『正法寺山荘跡』の標柱が在ります。
→印に従って80m程走った丁字路〔羽黒権現神社の看板アリ〕を右折して150m走ると
、正法寺山荘跡に着きます。Ωカーブを描く小野川が城郭の三方を囲み、これを羽黒山から
延びる尾根が塞いでいます。土塁や段差で8つの曲輪に分けられ、3つの井戸跡や溝・集水
池・建物の礎石も確認出来ます。








登城道















曲輪T



曲輪U





曲輪V



曲輪W









曲輪X





エリアY





曲輪Z











曲輪[



曲輪[東側の下段平坦地