三河 松見屋敷
Shoken residence

松見屋敷跡【愛知県豊川市伊奈町鶴田】

【立地】平地
【別称】松見様御隠居屋敷・お松見

【市指定史跡】

【歴史】本多彦八郎忠次の隠居屋敷とされる。忠次は伊奈本多氏6代助太夫忠俊の子で、兄修理亮光忠
が病気であった為、家督を継いで7代となった。家康に仕え、1564年「吉田城攻め」の戦功から三
河国宝飯郡、渥美郡内で5000貫を得、1570年「姉川の戦い」・1575年「長篠の戦い」・1
581年「高天神城攻め」に参戦した。1589年酒井忠次の二男康俊を養子に迎え、忠次は家督を譲
って隠居に入る。康俊は、1600年「関ヶ原の戦い」の戦功により、1601年三河国西尾へ2万石
で入る。1613年忠次は三河国西尾で亡くなり、1589〜1613年間で本屋敷が使われたと思わ
れる。現在は伊奈本多氏6代忠俊夫妻、光忠夫妻、7代忠次夫妻の墓所となり、土塁の一部が残る。

【所感】蒲郡方面から国道23号線を進み、佐奈川に架かる浜田橋を渡った交差点を左へ入り、600
m程進んだ右手の森が伊奈本多家の墓所「お松見」です。説明看板横の門を入ると4基の墓が在り、裏
手に一般の墓地、児童公園が在ります。伊奈城跡とセットで行かれると良いでしょう。


 

南方墓地から見た「お松見」〔写真:左〕伊奈城主本多家墓所「お松見」入口〔写真:右〕


 

伊奈本多家6代忠俊公の墓〔写真:左〕伊奈本多家6代忠俊公妻の墓〔写真:右〕

 

伊奈本多家6代忠俊嫡子・本多光忠公と妻の墓〔写真:左〕伊奈本多家7代忠次公の墓〔写真:右〕