丹後 園部城
Sonobe castle
京都府立園部高等学校・園部城跡【京都府南丹市園部町小桜町97】
京都家庭裁判所園部支部【京都府南丹市園部町小桜町30】
南丹市立文化博物館【京都府南丹市園部町小桜町63】
南丹市立国際交流館【京都府南丹市園部町小桜町62-1】
南丹市役所【京都府南丹市園部町小桜町47-47】
移築太鼓櫓・安楽寺【京都府南丹市八木町北屋賀国府26】
【立地】丘城
【別称】園部陣屋
【府暫定登録文化財】旧園部城櫓門・旧園部城巽櫓・旧園部城番所
【市指定文化財】安楽寺太鼓櫓
【歴史】1619年但馬国出石から小出吉親が2万9711石で入封し、園部藩を立藩した
ことに始まる。吉親は宍戸城に滞在しながら園部川と半田川の合流点に陣屋を築くことを決
め、1619~1621年11月小麦山南麓の台地に屋敷を築いた。吉親は関東代官・西海
道巡倹使・上方郡奉行などを歴任し、1667年に致仕。養老料として5000石を手元に
留めた。2代英知を2万5000石を領有し、1668年初代吉親が没すると、養老料50
00石は弟吉直に3000石、養子吉忠に2000石を分与された。1673年3代英利が
襲封し、1705年に襲封した4代英貞は弟英治に1000石を分与している。英貞は外様
小藩ながら、1725年奏者兼寺社奉行、1732年西の丸若年寄に栄進した。1744年
5代英持〔奏者番・寺社奉行・若年寄〕-1767年6代英常〔奏者番〕と続き、1775
年2歳で襲封した7代英筠は、1786年11歳で桜田門火防御使に任命され、1782~
1788年『天明の大飢饉』で大規模な農民一揆が発生。領内への流出を防ぐ為に篠山藩か
ら応援を得て鎮圧している。文化年間(1804~1818年)藩校『教先館』を設立。1
821年8代英発-1843年9代英教を経て、1855年10代を英尚が継ぐ。1868
年1月陣屋の改修を申し出て櫓門3ヶ所、櫓5ヶ所、水堀などを築き、1869年8月国内
最後の城が完成するが、1871年廃藩置県で廃藩となる。2017年櫓門・巽櫓・番所が
府暫定登録文化財に指定され、現在は高校・園部公園などになり、櫓門、巽櫓、番所、移築
太鼓櫓、土塁、石垣が残る。
【所感】園部城跡〔園部陣屋跡〕の写真は昔から見ていますが、櫓門や巽櫓は復興建物だと
勝手に思い込んでいました。現存の建物が残り、国内最後の築城というレアな城跡を訪ねる
ことが出来て大変嬉しく思います。
宮津城の看板・宮津武田病院・国道178号線沿い
現存 櫓門・本丸・園部高等学校
現存 巽櫓・本丸・園部高等学校
現存 番所・本丸・園部高等学校
櫓門+番所+巽櫓・本丸・園部高等学校
春崎稲荷神社・小麦山中腹
石碑群参道・小麦山山頂
石碑群・小麦山山頂
三重櫓跡・植物園・小麦山山頂