信濃 諏訪氏館
Suwa yakata
諏訪氏館跡【長野県茅野市ちの】
頼岳寺【長野県茅野市ちの上原1753】
【立地】山腹
【別称】板垣平
【歴史】1466年頃、上原城を拠点とする諏訪惣領家の諏訪信満が、上原城南腹の板垣平
(標高845m、比高50m)に構えた居館と云う。その後、政満〔?−1483年〕−頼
満〔1473−1540年〕−頼隆〔1499−1530年〕−頼重〔1516−1542
年〕と5代に亘って諏訪地方を治め、城下町は政治・経済・文化の中心として栄えた。15
42年武田軍の攻撃で諏訪頼重は自刃、諏訪惣領家は滅亡した。1543年信玄は重臣板垣
信方を諏訪郡代として統治に当たらせる一方、上原城を修築して長坂虎房を城代とした。こ
の時期、諏訪氏館跡に板垣信方が屋敷を築いたと思われる。1548年武田信玄×村上義清
の「上田原の戦い」で信方は戦死。城代に弟の室住玄蕃充虎登、郡代は長坂虎房が務めるが
、同年政庁を高島城へ移した。1582年2月武田勝頼の木曽氏討伐で使われたのを最後に
廃城となる。現在は曲輪、土塁、堀切が残る。
【所感】国道20号線上原頼岳寺信号丁字路から案内標柱に従って『永明寺山公園』『上原
城跡』を目指して上って行くと、途中に上原城諏訪氏館跡の石碑、背後の広い平坦地が『板
垣平』と呼ばれる居館跡になります。中央の道を奥へ進み、南側を覗くと、眼下に家老屋敷
の平坦地があり、周りを段曲輪が囲んでいます。高圧鉄塔横の高くなった部分が土塁の一部
と言われています。
上原城諏訪氏館跡(字板垣平)の案内・駐車場
上原城跡の看板・上原城諏訪氏館跡碑の前
上原城諏訪氏館跡碑と上原城の大手道
上原城諏訪氏館跡
鉄塔横の土塁・上原城諏訪氏館跡
家老屋敷跡・上原城諏訪氏館跡