尾張 田幡城
Tabata castle
田幡城跡【愛知県名古屋市北区金城3丁目】
金城小学校【愛知県名古屋市北区金城3丁目11−6】
【立地】平城
【別称】狩宿城
【歴史】天文年間(1532〜1555年)頃、尾張国へ移住した越智右馬允信高の築城と
される。信高は狩宿城主林弥助の父で、尾張林氏の祖となる。弥助の子新五郎〔林佐渡守秀
禎(通勝)〕は織田信秀に仕え、那古野城主となった織田吉法師の筆頭家老「一長」となる
〔二長は平手政秀・三長は青山与右衛門・四長は内藤勝介〕。信長の元服、父信秀の葬儀に
相伴し、1555年信長が清洲城へ移ってからは那古野城を預けられた。幼少より信長のう
つけぶりに不満を抱いていた秀貞は、織田家後継として信長の弟信勝擁立し、1556年8
月「稲生の戦い」となったが、信長軍に大敗。その後、廃城となり、許されて信長に仕えた
。現在は金城小学校に変わり、遺構は無い。
【所感】国道41号線黒川信号を西へ500m程進んだ城見通3信号交差点を南へ入ると、
右手に金城小学校が在ります。校内に石碑があることは分かっていましたが、休日で門が閉
まり、外から学校の写真を撮っていました。先生の姿が見えたので、事情を話し、校内にあ
る林泉寺跡の石碑を撮らせて頂きました。清正橋の石は名古屋城築城の際、石を運ぶ道中の
小川に架けられた橋の石だそうです。
林泉寺跡の石碑と清正橋の石・金城小学校