三河 田口村古屋敷
Taguchimura old residence
田口村古屋敷跡【愛知県北設楽郡設楽町田口字小貝津】
愛知県設楽警察署【愛知県北設楽郡設楽町田口字小貝津6−2】
福田寺【愛知県北設楽郡設楽町田口字居立19】
【立地】丘地
【別称】半兵衛屋敷
【歴史】1596〜1616年、標高410m、比高10m
の丘陵に築かれた菅沼半兵衛正勝の屋敷とされる。正勝の父
長篠菅沼家6代城主菅沼新九郎正貞は、1572年「三方ヶ
原の戦い」に於いて武田信玄の武将山県昌景の配下で家康と
戦った。1573年家康が長篠城を攻撃の際、火矢で城が火
災となり、正貞は鳳来寺方面へ退却した。信玄はこの行動を
家康への寝返りと見て信濃国小諸へ幽閉し、その後に亡くな
った。正勝は小諸で生まれ、1582年武田氏滅亡後、牛久
保城主牧野康成の推挙で初めて家康に拝謁し、設楽田口50
0石を賜った。1616年紀伊大納言頼宣に仕えて後、三河
国津具を知行し、1619年頼宣の紀伊国入国に供をして石
高1000石、1635年2000石を得た。場所は福田寺
の石段登り口に隣接した地で、現在は国道257号線建設で
滅失し、遺構は無い。
【所感】国道257号線と県道33号線の合流点に設楽警察
署が在り、この辺りが屋敷跡になります。この日は福田寺を
訪ねていませんが、武田信玄の墓が在るということで、次回
、近くへ行くことがあったら寄りたいと思います。
田口村古屋敷跡辺り・愛知県設楽警察署