尾張 高橋源左衛門屋敷
Takahashi genzaemon residence
高橋源左衛門屋敷跡【愛知県一宮市北方町北方字川原屋敷】
【立地】平地
【別称】高橋源左衛門旧居
【歴史】1600年「関ヶ原の戦い」の前、北方の住人高橋源左衛門
は広瀬嘉右衛門と共に池田輝政軍1万8000の木曽川越えを助け、
加納への近道も案内し、岐阜城攻めに比類ない軍功を挙げた。その功
績により、黄金10両、刀1振、船頭給28石5斗を得る。1607
年尾張藩主徳川義直の時、岐阜街道を改修、当地から対岸へ渡船を官
道し、高橋、広瀬両氏は代々渡しを守ったと云う。1878年明治天
皇御巡幸の際、両氏は私財を投げ打って船橋を架したが、翌年流失、
鉄橋架設に至るまで渡船は続けられた。屋敷は宝江ゲートボール場辺
りとされ、現在は草地になっている。
【所感】木曽川に架かる県道14号線木曽川橋東岸に位置し、橋から
堤防上を150m程北上した土橋上に高橋源左衛門旧居跡の看板が在
ります。屋敷跡とされる宝江ゲートボール場について近所の方にお聞
きしたところ、旧居跡の看板から堤防を下りた草地の辺りに在ったと
のこと。現在の字名は川原屋敷になっています。高橋源左衛門旧居跡
の看板前の道を150m程集落へ入った最初の交差点に宝江の渡し跡
の看板、岐阜街道の石碑が在ります。
高橋源左衛門旧居跡の看板〔写真:左〕宝江の渡し跡の看板〔写真:右〕