讃岐 高松城
Takamatsu castle

        高松城跡【香川県高松市玉藻町】
JRホテルクレメント高松【香川県高松市浜ノ町1-1】
       県民ホール【香川県高松市玉藻町9】
 アルファあなぶきホール【香川県高松市玉藻町9-10】
  香川県立ミュージアム【香川県高松市玉藻町5-5】
        栗林公園【 香川県高松市栗林町1丁目20-16】

【立地】水城・平城
【別称】玉藻城

【国指定史跡】高松城跡
【国重要文化財】旧東之丸艮櫓、北之丸月見櫓、北之丸水手御門、北之丸渡櫓
        披雲閣(旧松平家高松別邸)
【国名勝】披雲閣庭園
【特別名勝】栗林公園

【歴史】1587年8月、播磨国赤穂6万石城主生駒雅楽頭親正が秀吉より讃岐一国17万
3000石を与えられ、引田城へ入った。しかし、引田が讃岐の東に偏していた為、聖通寺
城〔坂出市〕へ移城。那珂郡津森荘亀山〔丸亀城の場所〕・山田郡上田井村由良山〔由良山
城・高松市〕などの検討を重ね、最後に香東郡野原を居城地と定め、1588年着工。北側
が海に面した後ろ堅固の水城であり、縄張りは黒田如水〔孝高〕、藤堂高虎、細川三斎〔忠
興〕など諸説ある。1590年竣工。この水城を高松城と命名した。1599年親正は領内
の総検地を行って領国経営に乗り出したが、1600年「関ヶ原の戦い」の際、親正は西軍
、嫡男一正は東軍で参戦し、戦後、親正は高野山で剃髪して隠居、1601年一正は戦功に
よって所領を安堵された。1610年嫡男正俊に継がれ、1614~1615年「大坂の陣
」で戦功を挙げる。1621年正俊没後、小法師〔高俊〕が家督を継ぐが、11歳であった
為、外祖父の伊勢国津藩主藤堂高虎が後見となった。1627年高虎は家臣の土木に長けた
西島八兵衛之尤を呼んで生駒家の奉行とし、初めに周辺の池を改修。1637年高松城下を
貫流する郷東川の水路を西へ付け替え、新田の開墾、栗林公園の前身を築庭、堤防工事など
水害防止・城下町整備を行った。成年となった高俊は、藩政に対して暗愚で怠慢であった為
、重臣らが藩政の主導権を巡って「生駒騒動」に発展。結果、生駒帯刀派は出雲松江藩・各
藩にお預け、前野・石崎派は切腹・死罪、高松藩主生駒高俊は出羽矢島1万石へ流罪となっ
た。1640年生駒氏除封後、一時、讃岐国は三分割され、西条藩主一柳直重・大洲藩主加
藤泰興・今治藩主松平定房の預り地となる。1641年西讃地方に肥後国富岡から山崎家治
が丸亀城へ入り、丸亀藩5万石を立藩。翌1642年東讃地方に常陸国下館から松平頼重〔
徳川家康の孫・水戸光圀の異母兄〕が高松城〔高松松平家〕へ入り、高松藩12万石で立藩
した。頼重は城下町の拡充・整備を行い、1644年上水道を町の北東部に敷設、領地内に
溜池460箇所を築き、海岸の埋め立てと塩田を造成した。更に京都から織工を招いて保多
織〔讃岐上布〕を創始して殖産興業を図った。1673年徳川光圀の嫡男頼常に継がれるが
、既に頼重の代で逼迫していた藩財政に加え、旱魃・風水害・害虫などで不作が続き、16
95年倹約令を実施。「御定法御入用積」なる藩財政支出削減方針を示し、開墾による産業
開発で財政立て直しを図り、慶弔金20万両を備蓄するに至った。頼常以降も藩財政の回復
・悪化を繰り返しながら、1704年頼豊-1735年頼桓-1739年頼恭-1771年
頼眞-1780年頼起-1792年頼儀-1821年頼恕―1842年頼胤-1861年頼
聰と続き、1871年廃藩置県を迎えた。城は、1870年廃城伺いが許可され、一時、政
府の所管となったが、1890年城跡の一部が松平家に払い下げられる。1945年松平家
→公益財団法人松平公益会へ、1954年高松市に譲渡され、1955年一般公開された。
1947年北の丸月見櫓・北の丸水手御門・北の丸渡櫓・東の丸艮櫓が国重要文化財、19
50年高松城跡が国史跡に指定される。高松城の南方2キロ程に位置する栗林公園は、生駒
4代藩主→松平5代藩主までの間で造営・修築が行われ、1745年完成。明治まで高松松
平家の下屋敷として使われた。現在は櫓、門、曲輪、石垣、水堀などが残り、地域の人の憩
いの場、観光地となっている。

【所感】水城の場合、埋め立てが進んで海から遠ざかるケースがありますが、高松城跡は国
道30号線を挟んで直ぐ高松港で、現在も海に近い場所に在ります。香川遠征2日目の宿泊
地がココ高松で、JRホテルクレメント高松に泊りました。部屋から高松城跡を見た時、然
程広くは無いな~と感じていましたが、実際に歩いてみると、結構、広い。内掘のチヌが鯉
のように人に寄って来たり、公共施設〔ホール〕内を石垣が貫通していたり、他には無いこ
の辺りが見所かもしれません。今回の遠征は丸亀城・徳島城とともに天候に恵まれず、一様
、下見レベルで撮りました。また、リベンジしたいと思います。











天守台・本丸(天守曲輪)



本丸(天守曲輪)



本丸虎口



地久櫓台・本丸



矩櫓台・本丸







本丸と二の丸を繋ぐ鞘橋



文櫓台・二の丸



二の丸



二の丸東端の黒鉄門跡



二の丸西端の黒鉄門跡



廉櫓台・二の丸



武櫓台・二の丸



桜御門正面の一文字石垣(勢留石垣)・三の丸



桜門の石垣・三の丸



三重三階 月見櫓・続櫓・水手御門・渡櫓【国重要文化財】




鹿櫓台



三重三階 艮櫓(太鼓櫓跡)【国重要文化財】



太鼓門の石垣



旭橋と旭門



三重三階 艮櫓(太鼓櫓跡)【国重要文化財】と旭橋



艮櫓台・東の丸