三河 高縄城
Takanawa castle
高縄城跡【愛知県豊橋市老津町西高縄】
豊橋市立家政高等専修学校【愛知県豊橋市老津町西高縄78】
太平寺【愛知県豊橋市老津町東高縄204】
【立地】丘城
【別称】大津城・大津村古城
【歴史】1475年戸田宗光〔〜1499年6月19日〕が築き、1480年田原城を築いて移るまで
の居城となった。〔彦坂小刑部の築城説もある〕その後の城主は不明である。1547年戸田康光・堯
光父子が今川の人質松平竹千代を織田信秀へ渡した際、田原城へ今川方の来襲があり、康光の弟光忠は
岡崎へ逃れた。光忠の嫡男戸田忠次〔〜1569年1月20日〕は家康に仕え、1563〜1564年
「三河一向一揆」鎮圧の戦功により、渥美郡老津2300石を与えられた。忠次はその後も、1569
年「掛川城攻め」、1572年「三方ヶ原の戦い」、1584年「小牧、長久手の戦い」、1590年
「小田原攻め」などで戦功を挙げ、5000石で伊豆国下田へ移り、廃城になったとされる。現在は学
校、畑地に変わり、堀と土塁の一部が残ると云う。
【所感】国道259号線老津信号を南へ曲がり、県道411号線を300m程進むと、右手に家政高等
専修学校が在り、校門を入って直ぐ左に城址碑が在ります。学校の北側の道を西進し、南へクランクす
ると、右手に耕地、正面に掘切、堀切の左手に土塁の一部が在ります。耕地を囲むように土塁のような
ものが在りますが、これは畑地造成の際に削られた跡と思われます。
高縄城址の碑・家政高等専修学校〔写真:左〕家政高等専修学校西隣りの耕地〔写真:右〕
校舎南側に残る土塁の一部〔写真:左〕校舎南側に残る掘切〔写真:右〕
太平寺〔写真:左〕戸田宗光ほか一族の墓所・太平寺〔写真:右〕