遠江 高根城
Takane castle

 高根城跡【静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方】
水窪中学校【静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方366】

【立地】山城
【別称】久頭合城・九頭郷城

【市指定史跡】

【歴史】1414年奥山金吾正定則が伊良親王を守護して、周智郡奥山に仮宮を設け、三角
山〔標高420m、比高150m〕山頂に城を築いたことに始まる。その後、大膳亮某−定
之と続き、貞益の時、弟定之が水巻城主、定吉が若子城主、定友が小川城主となり、属城を
展開した。永正年間〜大永年間(1504〜1528年)頃、奥山氏は今川氏の配下となり
、北遠江のほぼ全域を支配下とした。永禄年間(1558〜1570年)後半、今川氏衰退
に伴い奥山氏は今川・徳川・武田への帰属を巡って内部分裂が勃発、城は落城したと考えら
れる。1569〜1576年武田信玄、勝頼父子によって大改修され、国境を守る橋頭堡と
されたが、1582年武田氏滅亡とともに廃城になったとされる。現在は大手門、搦手門、
土塀、井楼櫓、柵列、城門などが復元され、竪堀、堀切、土塁が残る。

【所感】高根城跡は水窪川と水窪河内川の合流点南側に位置します。登城口は城跡の北側と
南側の2箇所があり、北の登城口は国道152号線水窪橋信号交差点から水窪橋を渡って直
ぐ右折し、案内板に従って進んだ場所で、本曲輪へ向かって急斜面を登るコースです。南の
登城口は、同じく国道152号線水窪橋信号交差点から水窪橋を渡って県道389号線を進
みます。水窪中学校を過ぎ、河内川を渡って600m程進むと、右手の脇道に高根城公園を
看板があり、この道を登り切ると南の登城口となる高根城公園に着きます。こちらは尾根伝
いを歩くアップダウンの少ない道で、三の曲輪から入るかたちになります。体力に自信の無
い方はこちらをお薦めします。歴史が書かれた「高根城公園」の石碑から長い滑り台を左手
に進む細い登城道ですが、分かり辛いので、必ずトイレ横に在るコース案内板で確認してか
ら行って下さい。間違えると遠回りになる可能性があります。今回は南の登城口から行きま
したが、遺構は南から二重堀切−三の曲輪−堀切−二の曲輪−堀切−本曲輪の順に並び、三
の曲輪・二の曲輪には柵、本曲輪周辺には門・塀・櫓などが築かれ、戦国時代の山城を分か
り易く表現しています。どうしても建物に目が行きがちですが、曲輪を仕切る堀切は大変見
応えがあり、結果的に堀切の写真ばかり撮っていたような気がします。





城郭南方の登城口・高根城公園



高根城の歴史看板・城外・二重堀切の南側



三の曲輪から見た城郭南端の二重堀切



二重堀切南側の堀切



二重堀切北側の堀切




三の曲輪の東側へ廻り込む横堀



三の曲輪入口



三の曲輪



三の曲輪北端の土壇



三の曲輪−二の曲輪間の堀切



ニの曲輪の切岸



ニの曲輪入口の梯子



二の曲輪



ニの曲輪−本曲輪間の堀切





ニの曲輪−本曲輪間の門



本曲輪裏虎口



本曲輪南端の土塀



高根城主の石碑・本曲輪



井楼櫓と土塀・本曲輪



本曲輪西端の土塁



本曲輪内の門



大手門



本曲輪から見た水窪町山腹の集落