美濃 竹鼻城
Takehana castle

      竹鼻城跡【岐阜県羽島市竹鼻町】
羽島市歴史民俗資料館【岐阜県羽島市竹鼻町2624−1】
      竹鼻別院【岐阜県羽島市竹鼻町2802】
       専福寺【岐阜県羽島市竹鼻町2808】
       西岸寺【岐阜県羽島市竹鼻町2811−1】
       義明寺【岐阜県羽島市竹鼻町2786−2−62】

【立地】平城
【別称】竹ヶ鼻城

【市指定史跡】

【歴史】応仁年間(1467〜1468年)、竹腰伊豆守尚隆の築城とされる。続いて、文
明年間(1468〜1486年)の後半(1480年代)に土岐氏の重臣斎藤氏の一族、長
井豊後守利隆が城主となり、次に不破源六広綱が入った。広綱は織田信雄の武将で、360
0貫文を領し、一時荒廃していた城を拡大し、石垣・水堀・射場などを整備、1581年城
の鬼門となる場所に八剣神社を祀り、本覚寺の創建、城下町造りを進めた。1584年5月
「小牧、長久手の戦い」の後、羽柴秀吉の水攻めで、6月落城。広綱は伊勢長島の信雄に落
ち、加賀前田氏に仕えたと云う。その後、一柳市助直末−伊木清兵衛忠次−森寺清右衛門−
杉浦五左衛門重勝が城主となる。1600年「関ヶ原の戦い」の際、西軍の織田秀信の配下
であった重勝は東軍に攻められて自害、廃城に至る。場所は定かではないが、旧町名の上城
町が本丸、下城町が二の丸と推定されている。羽島市歴史民俗資料館に城址碑が立つ。

【所感】嘗ては竹鼻町丸の内3丁目辺りが城跡とされてきましたが、現在、城址碑が立つ場
所は羽島市歴史民俗資料館の入口です。城跡のエリアは現在もハッキリしていませんが、寺
院群〔竹鼻別院・専福寺・西岸寺・義明寺〕の東側辺り〔上城町・下城町〕が有力とされて
います。11年ぶりの再訪でした。





竹鼻城本丸之趾の石碑・羽島市歴史民俗資料館