美濃 竹中氏陣屋
Takenaka Jinya
竹中氏陣屋跡・岩手幼稚園・岩手小学校【岐阜県不破郡垂井町岩手619−2】
神幢寺【岐阜県不破郡垂井町岩手1038】
【立地】平地
【別称】岩手城・竹中氏館・竹裏館・岩手陣屋・竹中陣屋
【県指定史跡】竹中氏陣屋跡及び櫓門
【歴史】豊臣秀吉の与力竹中半兵衛重治の長男重門〔1573〜1631年〕が築いたとさ
れる。重門は秀吉のもとで養育され、1584年4月12歳で「小牧・長久手の戦い」に従
軍、1588年元服して岩手に帰郷、1589年11月美濃国不破郡内5000石を得る。
1592年「文禄の役」で肥前名護屋城に駐屯、1594年12月河内国大県郡畑村・安宿
郡玉手村1000石加増。1600年「関ヶ原の戦い」では西軍に属したが、加藤貞泰とと
もに早くから徳川氏に通じ、井伊直政に使者を送るなど、家康の一書で東軍に属した。粕子
山中で小西行長を生け捕った。1608年名古屋城築城では木曽の材木伐採奉行を務め、1
614〜1615年「大坂冬の陣・夏の陣」に参戦。1625年10月美濃国不破・河内国
安宿・大県3郡内6000石を領し、1626年3代将軍家光の上洛に随行した。1631
年重門没後、重常−重高−重長−重栄−元敏−元儔−重寛−重光−重知−重明−重固と明治
まで続いた。築城時期は文禄・慶長年間(1593〜1615年)、或いは岩手に帰郷した
1588年〜1600年「関ヶ原の戦い」直後までとも云われる。1956年陣屋跡と櫓門
が県の史跡に指定される。現在は個人宅、幼稚園、小学校となり、櫓門、水堀、石垣、土塁
などが残る。
【所感】隣県でありながら西美濃は極めて訪城数が少ないエリアでしたが、関ヶ原古戦場関
連の史跡を回り始めてから、予てから行きたかった菩提山城跡・竹中氏陣屋跡を訪ねること
が出来ました。陣屋櫓門の斜め前に十数台止められる専用の無料駐車場が有り、いつでも利
用出来ます。現在、陣屋跡は空き地になっていますが、個人の土地になるので中には入れま
せん。櫓門・石垣・水堀は幼稚園・小学校の敷地になり、こちらは何時でも訪ねることが出
来ます。少ない遺構ですが、菩提山城跡とセットで訪ねれば、竹中氏の歴史をなぞることが
出来ます。竹中半兵衛の菩提寺神幢寺は櫓門から400m北上した左手に在ります。
現存 櫓門【県指定史跡】
陣屋跡
陣屋跡の水堀と石垣
竹中半兵衛重治公の墓・神幢寺
竹中半兵衛座像・竹中氏陣屋跡
竹中半兵衛座像・JR垂井駅ロータリー