陸奥 滝井館
Takiidate

滝井館跡【青森県北津軽郡板柳町滝井字西田24−6】

【立地】平城
【別称】古館・古館城・館野越館

【町指定史跡】

【歴史】1334年建武の新政下、陸奥守として後醍醐天皇の皇子義良親王〔後村上天皇〕
を奉じて、村上天皇の流れを汲む北畠顕家が父北畠親房と共に陸奥国府・多賀城に入る。2
代顕成・3代顕元の時に浪岡に移り、4代顕義が波岡城を築いたとされる。1558年浪岡
御所北畠家9代具運の弟顕範が波岡城の西の守りとして滝井館を築いたと云う。1578年
津軽為信の侵攻により波岡城は落城、10代顕村は自害、顕範の子顕忠は盛岡方面に遁れた
。その為、当城は空城となり、人々は『古館』と呼んだ。11代顕佐〔顕忠の三男〕が顕村
の娘を娶って宗家を継ぎ、1600年家臣と共に当地に移住する。現在は子孫のお宅、畑と
なり、曲輪が残ると云う。

【所感】私有地で立ち入ることは出来ませんが、『青森県の中世城館』に載っている縄張り
図とグーグルアースを比較すると、堀跡の場所が見えて来ます。曲輪は『北畠家の由来』看
板の背後に広がる平坦地〔御子孫宅敷地〕、道路を挟んだ南側の住宅群も入るようです。堀
は曲輪〔敷地〕の西と東に南北方向に長く有ったようです。東側の堀は県道196号線の西
側に並ぶ住宅群の幅そのもので、堀内に古館城趾碑も立っています。東側は橋の袂から北へ
延びる道と道の西側の長い住宅群です。




『北畠家の由来』の看板・滝井館跡