三河 滝脇城
Takiwaki castle
滝脇城跡【愛知県岡崎市日影町河原】
長松院【愛知県豊田市滝脇町西洞31】
専光寺【愛知県豊田市滝脇町西洞35】
春日神社【愛知県豊田市滝脇町西洞36】
二畳ヶ滝【愛知県豊田市滝脇町川谷】
滝脇小学校【愛知県豊田市滝脇町切石洞18−1】
滝脇村石御堂【愛知県豊田市滝脇町石御堂】
【立地】平山城
【別称】日影城
【滝脇松平家】乗清 ― 乗遠 ― 乗高 ― 乗次 ― 正勝 = 重信 = 信孝 = 信治 = 信嵩 −
昌信 = 信義 ― 信圭 ― 信友 = 信賢 = 信進 = 信書 = 信敏
【麻生松平家】乗清 ― 親正 ― 清房 ― 正忠 ― 正勝 = 重信 = 信孝 = 信治 = 信嵩 −
昌信 = 信義 ― 信圭 ― 信友 = 信賢 = 信進 = 信書 = 信敏
【歴史】標高230mの尾根先端に築かれた城である。1487年松平宗家4代親忠が額田郡麻生の天
野景孝を攻め落とし、松平宗家4代親忠の九男乗清〔大給松平家初代乗元の子とする説もある〕が滝脇
に移り住み、滝脇松平家、麻生松平家の祖となる。松平宗家7代清康に仕えたが、1556年大給松平
家4代親乗に攻められ、初代乗清、2代乗遠ともに討死した。3代乗高は家康に仕え、1563〜15
64年「三河一向一揆」1575年「二俣城攻め」で戦功を挙げた。同年父兄の仇で大給城を攻める。
1600年「関ヶ原の戦い」の後、4代乗次は加茂郡7ヶ村、額田郡日影を領して、滝脇600石で陣
屋を構えた。長松院に滝脇松平家初代乗清・2代乗遠・3代乗高の墓が在る。現在は山林となり、曲輪
、堀切が残る。
【所感】日影城は、滝脇町の専光寺、春日神社と郡界川を挟んで対面〔真南〕に位置します。城跡前に
住むご主人に許可を得て上りました。家の前の一段高い田んぼから谷間を経て、尾根先端へ上ります。
城跡は最高部から先端へ向って一二三段に削平地が在り、後方の尾根とは堀切で仕切られています。尾
根先端からは滝脇の集落が一望出来、ご主人が言っていた「見張り城」の意味が分かります。縄張りの
規模からも、滝脇松平氏の本城とするには狭く、詰城と書かれている書物もあります。滝脇小学校前に
滝脇松平氏の居館跡とされる場所〔滝脇参考地:標高271m尾根上〕がありますが、個人的な見解で
は、滝脇小学校〔滝脇陣屋跡の裏山〕の方が立地としては良いように感じます。滝脇集落中心部を流れ
る郡界川を800m程下流へ行くと、「二畳ヶ滝」という「滝脇」の語源になった美しい滝が在ります
。石御堂は三河地区最大の一揆「加茂一揆」の舞台となった地です。1836年、年貢や諸物価の引き
下げにより起こり、足助から拳母の城下に及ぶ247村、参加人数1万3000人という大規模なもの
であったといいます。拳母、岡崎、吉田、尾張の藩兵や赤坂陣屋の役人によって鎮圧されました。
滝脇城跡登城口
滝脇城跡登城道
堀切・滝脇城跡
城跡最高地の曲輪
城跡最高地から2番目の北尾根曲輪
滝脇参考地
滝脇松平家の菩提寺 長松院
滝脇松平家の墓・長松院
二畳ヶ滝・滝脇の語源となった滝
滝脇村石御堂