陸奥 田名部館
Tanabudate

    田名部館跡・代官山公園【青森県むつ市小川町2丁目13−43】
            プラウ【青森県むつ市小川町2丁目13−26】
          エルロッド【青森県むつ市小川町2丁目13−27】
PARK DAIKANYAMA【青森県むつ市小川町2丁目13−43】

【立地】平城
【別称】田名部城・田名部代官所

【歴史】築城年は定かではない。1333年北畠顕家が陸奥国司として奥州に下向した時、
南部師行は国代として同行。1334年頃、田名部に赤星五郎、蛎崎に武田修理を目代とし
て派遣し、それぞれ居館を構えたと云う。1338年赤星五郎は南部師行に従い、武田信義
らと共に泉州石津で足利尊氏軍と戦い、戦死した。康正年間(1455〜1457年)、『
蛎崎の乱』後、南部政経は新田政盛を田名部館に配したとみられるが、永禄年間(1558
〜1570年)に肥後菊池家の一族で南部氏の優遇を受け、城ヶ沢に居住した後、田名部館
に移り、館主または郡代となったとされる。江戸時代に入り、1632年頃、盛岡藩が常念
寺〔田名部町〕に仮の代官所を置き、1660年代田名部館跡に田名部代官所が置かれ、1
870年盛岡藩が廃藩となる。その後、学校・図書館となり、現在は代官山公園と称され、
土塁、空堀の一部が残ると云う。

【所感】周辺よりも6m程高い丘の上に在り、広大な敷地となっているため、学校などに利
用された理由もよく分かります。発掘調査によって土塁や堀、溝跡、江戸時代の陶磁器など
が発見されており、館や代官所が在ったことは分かりますが、現在はお店やグランピング施
設が造られ、館跡とはまた違う雰囲気となっています。




『代官山公園の歴史』の看板・代官山公園



代官山公園