三河 寺脇城
Terawaki castle

         寺脇城跡【愛知県北設楽郡設楽町東納庫字軒山】
    ENEOS納庫SS【愛知県北設楽郡設楽町東納庫字下林2−11】
グループホーム設楽名倉の家【愛知県北設楽郡設楽町東納庫字古松4】

【立地】丘城
【別称】寺脇村城屋敷

【町指定史跡】

【歴史】時期は定かではない。標高680m、比高20mの尾根端に築かれた奥平喜八郎信
光〔後の戸田加賀守信光〕の居城とされる。城主に後藤弾正の名もある。名倉奥平氏は、永
正年間(1504〜1521年)頃、作手奥平貞久の子奥平左京進貞次が名倉へ進出し、名
倉奥平家の祖となった。寺脇城を本城とし、2代目領主が信光である。天正年間(1573
〜1592)初め、信光は家康の配下として津具方面で武田勝頼と戦い、1581年信長の
命により、上郷城〔稲武町〕を築いている。1600年「関ヶ原の戦い」の後、清洲城に家
康の四男松平忠吉が入り、1602年信光も家臣として移住した。現在は山林となり、曲輪
、土塁、空堀が残る。

【所感】国道257号線沿い「ENEOS納庫SS」から150m南下した左の脇道〔角に
←850m八幡神社・寺脇城址の標柱アリ〕を入ります。「グループホーム設楽名倉の家」
を経て、800m先の右手の細道〔町道327号東納庫森脇線〕を入って120m程進むと
、右手に寺脇城跡専用の駐車場が在ります。近くの標柱に従って畑を迂回、民家前の道を3
00m程歩いた正面に城跡の入口〔標柱アリ〕があります。防獣柵の扉をセルフで開閉し、
「枡形」の標柱から入って「大空堀」→「東三の曲輪」→「東四の曲輪」を確認、東へ回り
込んで「虎口」から「東二の曲輪」→「南二の曲輪〜南六の曲輪」の順で撮りました。「大
手口」→「本曲輪」へ入ると、左手に「寺脇城址碑」と「神社の祠と石碑」、歴史と縄張図
・浜城跡の登城道が描かれた「寺脇城址・浜城」の看板が立ってます。「本曲輪」の背後に
はコの字形の「大土塁」と「空堀」が囲み、寺脇城跡の見所となっています。浜城跡の登城
口は本曲輪の「搦手口」を出た「東帯曲輪」の先にあります。標柱に「比高180m、距離
1600m、この先案内板はありません」とありますので、「本曲輪」の看板「寺脇城址・
浜城」から登城道を撮影して持参することをお薦めします。







国道257号線→駐車場までの道



駐車場・八幡神社西隣り







駐車場→寺脇城跡入口までの道



伝 初代城主後藤弾正の墓



大手門



枡形虎口









大空堀



南帯曲輪



東三の曲輪脇に登城道





東三の曲輪



東四の曲輪



東二の曲輪の虎口





東二の曲輪





南二の曲輪



南三の曲輪



南四の曲輪



南五の曲輪



南六の曲輪





本曲輪の大手口







本曲輪











本曲輪を囲む土塁







本曲輪を囲む土塁外側の空堀



本曲輪の搦手口



東腰曲輪



本曲輪背後の尾根とを分断する空堀〔現在はほぼ消失〕



浜城跡登山口