三河 寺津城
Terazu castle
寺津城跡【愛知県西尾市寺津町御屋敷】
瑞松寺【愛知県西尾市寺津町御屋敷25】
寺津八幡社【愛知県西尾市寺津町西市場41】
金剛院【愛知県西尾市寺津町南馬場14】
義光院【愛知県西尾市寺津町山寺18】
【立地】平城
【別称】臥牒城
【大河内松平家】正綱 ― 正信 ― 正久 ― 正貞 = 正温 ― 正升 ― 正路 ― 正敬 = 正義 =
正和 = 正質
【歴史】源頼政の孫顕綱が三河国額田郡大河内郷〔岡崎市大平町字大河内〕へ移住し、大河内氏に改姓
したことに始まる。代々吉良氏に仕え、永正年間(1504〜1520年)、大河内家10代信政〔信
綱〕が寺津城を築く。1561年家康が西三河平定で東条吉良氏を攻めた際、12代秀綱は吉良方で敗
れ、吉良家と共に大河内家も没落する。1587年秀綱の次男正綱は家康の命により、長沢松平家正次
の養子となり、続いて兄久綱の子信綱を養子として継がせ、大河内松平家の祖となる。信綱は通称「伊
豆守」と呼ばれ、徳川3代将軍家光の側近中の側近で、知恵伊豆と呼ばれた。1633年忍城主となり
、1637年「島原の乱」を平定した功により、1639年武蔵川越6万石を与えられた。現在は瑞松
寺となり、土塁が一部残る。
【所感】国道247号線寺津町信号北100m程の左側に瑞松寺が在り、朱色の鳥居横に傾いた石碑が
立っています。三河には大名のルーツが多くありますが、徳川政権の立役者として大河内松平家の名を
広めた信綱もその一人です。国道247号線を挟んだ南東150m程の金剛院に大河内秀綱と父信貞・
母の宝筐印塔が在ります。
寺津城趾の石碑・瑞松寺
瑞松寺〔写真:左〕稲荷社・瑞松寺〔写真:右〕
寺津八幡社
大河内氏発跡地の石碑・寺津八幡社
大河内信政(知恵伊豆:松平伊豆盛信綱)の墓・義光院〔写真:左〕大河内氏信貞・秀綱の墓・金剛院〔写真:右〕