三河 手塚古屋敷
Tezuka old residence


     手塚古屋敷跡【愛知県新城市黄柳野字新谷】
黄柳野JA盆栽センター【愛知県新城市黄柳野字郷ケ平446−1】

【立地】山腹
【別称】黄柳野古屋敷

【歴史】応永年間(1394〜1428年)頃、信濃国下諏訪に住む手塚太郎金刺光盛の後裔手塚又太
郎が来住した屋敷とされ、手塚伝右衛門、伊右衛門はその末孫と云う。現在は山林となり、曲輪、土塁
、石垣、五輪塔などは古寺の遺構と思われる。

【所感】黄柳野JA盆栽センター裏手〔南側〕の道を東へ100m程歩き、山へ向かう道・右〔南〕へ
曲がります。集落へ張り出した尾根の東側を走る悪路ですが、100m程歩くと、右手に「59中部電
力」と書かれた黄色い標柱が在り、ココが手塚古屋敷跡の登城口になります。初めに1つ目の高圧線鉄
塔を目指し、倒木をかわして2つ目の高圧線を目指し、ひたすら溝状の山道を登ります。次第に平坦道
になり、最後、頭上に高圧線が走る山林の無いエリアに到着します。今度は高圧線に沿って左〔東〕の
鉄塔へ向かって道を進みます。この後、奥の枯れ沢を横切り、国有林〔杉林〕手前に古屋敷跡〔古寺跡
〕が在る〔石垣・五輪塔等〕とのことですが、寸前まで来て、辿り着くことが出来ませんでした。先週
、素人では分からないと言われ、今週、偶然、同じ人に会い、およその道を書いてもらいましたが、や
はり、知った人が同行しないと行けない場所のようです。常時、資料として愛知県中世城館跡調査報告
V(東三河地区)を持参していますが、どうやら地元の方が言う場所と異なる気がします。本に書かれ
た集落に近い鉄塔付近ではなく、もう1つ上の鉄塔付近になるので、標高は260mではなく310m
付近、比高は120mのままで良い気がします。4度目のトライをするか?迷うところです。黄楊樹林
の石碑は登城口から100m程奥へ進んだ右手の「つげ自生林入口」の場所から行けます。幅2m程の
比較的歩き易い山道ですが、途中、腰まで伸びたシダ群が行く手を阻むので要注意です。手塚氏一族の
墓所〔黄柳野字切藤〕は集落より少し離れた西方の丘上に在り、JA盆栽センター前の道と県道81号
線が交差する「黄柳野送水ポンプ場」裏手の墓地で、最高部の背高の墓石が目印です。



 

手塚氏一族の墓所〔写真:左〕昭和御大典記念黄楊樹林の石碑〔写真:右〕