三河 渡刈城
Togari castle

        鹿島社【愛知県豊田市幸町寺前71】
        祐蔵寺【愛知県豊田市幸町寺前68】
       加藤建築【愛知県豊田市幸町公文所14−1】
       神星工機【愛知県豊田市幸町公文所10−1】
 鎌田・深津家始祖の墓【愛知県豊田市幸町家下】
徳川家康渡船之所の石碑【愛知県豊田市配津町十六通】

【立地】平城

【歴史】1460年頃、深津藤太夫の名がある。鎌田氏を称していたが、11代鎌田光頼の
時、深津氏に改称して初代となる。藤原重次を経て、深津正次の時、1563年「三河一向
一揆」で家康に従事したが、佐々木にて討死。次の政利は、松平宗家8代広忠、9代家康に
仕えたと云う。1586〜1615年岡崎藩領になる。城は矢作川の氾濫で埋没し、城跡は
鹿島社、祐蔵寺辺りと云われている。


【所感】昔の矢作川は現在のような高い護岸では無かった為、大雨の際に度々氾濫していた
らしく、挙母城〔桜城・元城町〕も童子山へ城〔七州城〕を移しています。『公文所趾碑』
が加藤建築と神星工機の境界〔矢作川側〕に立っており、1167年この場所に公文所〔役
所〕が在ったそうです。『鎌田・深津家始祖の墓』は幸町家下エリアの中央部に在り、南隣
りの配津町家下エリアに『徳川家康渡船之所碑』が立っています。1560年桶狭間合戦後
、岡崎へ戻る際に当地から矢作川を渡ったそうです。




祐蔵寺




鹿島社



公文所跡



鎌田・深津家始祖の墓



徳川家康渡船之所碑