美濃 徳野陣屋
Tokuno Jinya

 徳野陣屋跡【岐阜県可児市下恵土】
ヤイリギター【岐阜県可児市下恵土3230−2】
   彩々屋【岐阜県可児市下恵土3231−17】


【立地】平地
【別称】平岡城

【市指定史跡】


【歴史】1653年平岡石見守頼資の屋敷跡地に岡田将監義政〔善政〕が構えた陣屋である
。小早川秀秋の家老であった頼資の父平岡頼勝は備前国下津井3万石を領していた。160
0年「関ヶ原の戦い」では黒田長政と謀り、初め西軍だった小早川秀秋を決戦当日に東軍に
寝返らせ、勝利へ導いた。戦後、頼勝は小早川秀秋〔21万9000石〕より備中国児島2
万石を分与されたが、1602年秀秋没後、所領を没収され浪人となった。1604年先の
戦功が認められ、美濃国可児郡徳野1万石で徳野藩を立藩。1607年頼勝没後、子の石見
守頼資が3歳で家督を継ぎ、1653年没後、家督相続争いで所領を没収され、廃藩となっ
た。同年岡田義政が揖斐陣屋→徳野陣屋へ移る。1658年石川大隅守政次と共に伊勢内宮
造営奉行となり、1659年造営の功により豊前守を叙せられた〔5万9857石〕。義政
の後、1660年名取半左衛門長知が跡役を命ぜられたが、1662年本陣屋が不便である
ことから、陣屋門・玄関・書院などを移築して笠松陣屋を築き、美濃郡代の拠点とした。現
在は住宅、畑地、ゴルフ練習場に変わり、遺構は無い。


【所感】有名なヤイリギターの南の細道を入ると、徳野陣屋跡に看板が在ります。北端がこ
の看板辺り、南は写真の背後に見えるゴルフ練習場〔打ちっ放し〕辺り、愛知用水以東のエ
リアのようです。神明神社の北に井戸跡が在るようですが、陣屋時代に利用したものか?分
かりません。




徳野陣屋跡の看板