三河 徳定城
Tokusada castle
徳定城跡【愛知県新城市徳定〔字西久保〕231】
徳定公民館【愛知県新城市徳定557−2〜6】
【立地】丘地
【別称】塩瀬古屋敷
【歴史】1556年、標高106m、比高24mの丘陵端に築かれた城で、野田城主菅沼定
村が当地の警備として弟菅沼又左衛門を置いたと云う。1569年又左衛門は遠江国引佐郡
の刑部城へ移り、代わって野田城の家臣塩瀬久次、久俊の居城となる。1575年奥平信昌
の家臣が住して、1590年廃城となる。現在は宅地、畑地となり、曲輪が残る。
【所感】国道151号線、国道301号線が交差する杉山北信号交差点を北の国道301号
線を進みます。600m程走った右手の竹生神社手前を右へ入り、県道21号線を道なりに
1200m程進むと、左手に徳定公民館が在ります。公民館横を左へ100m程進んだ左上
〔城跡東側〕が城跡になります。少し戻るような形で登城口が在り、上り切ると、2段にな
った曲輪跡とされる削平地が確認出来ます。この削平地が「城屋敷」、北側の道が「内堀」
と呼ばれています。東、南側の住宅地は「城」と呼ばれ、家臣屋敷地と伝えられています。
2段に在る曲輪跡・畑地〔写真:左〕城跡の東側・左上〔写真:右〕