尾張 坪内城
Tsubouchi castle
坪内城跡【愛知県一宮市開明字中屋敷15】
観音寺【愛知県一宮市開明字中屋敷32】
開明小学校【愛知県一宮市開明字城堀20】
【立地】平城
【歴史】築城年は不明。坪内又五郎の居城とされる。坪内氏は加賀国の富樫頼定が尾張に来
住し、天文年間(1532〜1555年)犬山城主織田信康に仕え、坪内又五郎の家を嗣い
で坪内に改称したと云う。1547年9月「稲葉山城攻め」で坪内将監が討死すると、戦功
があった前野又五郎忠勝が遺領と坪内氏を嗣ぎ、その後、為定−勝定〔1516〜1609
年〕と続き、利定〔1539〜1610年〕は信長に仕え、木曽川の川並衆蜂須賀小六・前
野長康・大沢基康・松原内匠・日比野六太夫・青山新七らの纏め役を勤めた。1559年浪
人暮らしをしていた前田利家を松倉城へ住まわせたり、1566年藤吉郎の墨俣城築城の際
、木曽の木材を松倉湊で一旦陸揚げ→加工→墨俣へ流したり、信長の美濃攻略に助勢した。
1582年信長没後、秀吉と不和になり、一時、金山〔現:可児市兼山〕へ退き、1584
年「小牧、長久手の戦い」では家康に与した。現在は住宅に変わり、遺構は無い。
【所感】野府城跡〔開明小学校〕の南700m程に位置し、西の野府川、東の県道14号線
に挟まれて観音寺・坪内城跡が在ります。観音寺の北70m程の個人宅が城跡で、北側が石
垣で田地より高くなっています。周辺には西屋敷・北屋敷・東屋敷の地名もあります。
坪内城跡・民家