三河 津具城
Tsugu castle

  津具城跡【愛知県北設楽郡設楽町津具字麓】
下津具郵便局【愛知県北設楽郡設楽町津具字林30−2】

【立地】山城

【歴史】築城年は定かではない。城の腰山〔標高757m、比高85m〕山頂に築かれた後
藤氏の城とされ、城主は後藤九郎左衛門善心がよく知られ、1562年今川方の渡辺
平内次が白鳥山城主後藤善心を攻め落としたと記され、戦国後期の構造をよく残しているこ
とから、この頃の築城と思われる。1569年徳川家康に属した名倉寺脇城の奥平喜八郎信
光の攻撃を受けて落城。この時、善心と長男・次男は戦死、三男は政芳は信州へ逃れ、廃城
となる。長野県喬木村の後藤家系図では…基茂−基信−基善−安基−善心−安乗−重安…と
続き、1448年基茂が伊勢国→信州新野へ移ったとある。その後、津具へ移り、白鳥山城
・津具城を築いたと云う。現在は山林となり、曲輪、土塁、横堀、竪堀が残る。

【所感】横に津具川が流れる県道427号線〔坂宇場津具設楽線〕沿いの下津具郵便局から
550m西進した民家横に「町道437号寺ノ沢線」の標識、「津具城址←200mP城址
入口」の標柱が立っています。車で200m程未舗装路〔轍が深い〕を入り、左手のPに駐
車、登城口@から砂利道〔町道437号寺ノ沢線〕を200m程歩くと、標柱「津具城址入
口」〔登城口A〕に着きます。津具城跡から北へ伸びる幅広い尾根から入り、山腹を通って
城跡の西側へ回り込む緩傾斜のルート、登城口A→大手口まで標柱が導いてくれます。大手
口前の大穴、現地の人の話では子供の頃に「井戸」と呼んでいたそうですが、井戸が無くて
も近くに津具川へ流れ込む水源〔寺ノ沢や神明川〕が有るので、掘る必要はなさそうです。
大手口から登って行くと、順路や名称を示す標柱が沢山立っており、回るに困ることはあり
ません。W郭・U郭・T郭・V郭の順に並ぶ、連郭式の縄張り。W郭〔西帯曲輪・腰曲輪・
北帯曲輪〕は竪堀、城の北・南・南東に堀切、U郭〔北二の曲輪〕に土塁、T郭〔本曲輪〕
・V郭〔南二の曲輪〕は切岸、それらの虎口は竪堀を穿って侵入を妨害するなど、様々な措
置が施されています。山城初心者でも分かりやすい城跡だと思います。




津具城跡入口





津具城跡Pと登城口@







登城口@→登城口Aの登城道



登城口A





















登城口A→大手口→竪堀Bまでの山道



腰曲輪〔W郭〕と竪堀B



西帯曲輪〔W郭〕



西帯曲輪〔W郭〕の竪堀C



腰曲輪〔W郭〕⇔北帯曲輪〔W郭〕間の竪堀A



北帯曲輪〔W郭〕



北帯曲輪〔W郭〕⇔堀切@間の竪堀@





北二の曲輪〔U郭〕北側の堀切@



東帯曲輪に入る虎口A



虎口A横の竪堀E



虎口A⇔北二の曲輪〔U郭〕虎口B間の東帯曲輪



北二の曲輪〔U郭〕の虎口B



北二の曲輪〔U郭〕





本曲輪虎口C横の竪堀D



本曲輪虎口C









本曲輪〔T郭〕





本曲輪〔T郭〕南西下の堀切A





南二の曲輪〔V郭〕



南二の曲輪〔V郭〕南下の堀切