三河 堤本地城
Honji castle
堤本地城跡・八幡社【愛知県豊田市堤本町根岸65】
八幡社【愛知県豊田市堤町宮畔12】
堤フォトスタジオ【愛知県豊田市堤本町根岸70】
御茶屋御殿跡【愛知県豊田市堤町御茶屋】
【立地】丘城
【別称】堤本地古城・本地城
【歴史】南北朝時代(1336〜1392年)、比高10mの台地端に築かれた尾張国守護畠山家国の
六男畠山六郎の居城とされる。兄に阿波守・国清〔道誓〕・三郎・義深・国熙がいる。六郎は足利氏に
従ってしばしば戦功をあげ、足利政権の確立に貢献。後に足利尊氏の命により、鎌倉の官僚足利基氏〔
1340〜1367年〕に仕えた。1360年八幡社〔堤町宮畔12〕を創建。1361年兄国清と基
氏の不和から畠山氏は一時没落するが、1364年国清病没後は免罪、六郎も堤に於いて近郷850町
を賜った。1402年六郎が没し、1467年頃、廃城となる。現在は八幡社となり、遺構は無い。
【所感】八幡社が在る県道284号線堤町宮畔信号六差路から西へ180m程進むと、右手に堤フォト
スタジオ、その横に八幡社の鳥居が在ります。60m程進んだ正面に本地城址の石碑、階段を登ると、
八幡社です。境内が城跡ということで単郭のように感じますが、周辺の畑地も曲輪であったかは分かり
ません。比高10mの高台に在るので、南方一帯がよく見えます。1560年「桶狭間の戦い」の後、
松平元康〔徳川家康〕が大高城から平針街道を通って岡崎へ帰る際、堤村に立ち寄ってお茶を召し上が
ったという場所が在ります。住所も堤町御茶屋と言い、八幡社〔堤町宮畔〕の駐車場にある「御茶屋御
殿跡案内図」で場所は確認出来ます。道沿いに御茶屋御殿跡の看板が立ち、奥に祠が見えます。
本地城址の石碑・八幡社〔写真:左〕御茶屋御殿跡〔写真:右〕