遠江 堤城
Tsutsumi castle

       堤城跡【静岡県菊川市下平川】
      春日神社【静岡県菊川市下平川2401】
サクラ罐工業静岡工場【静岡県菊川市下平川2345】
モトハウス・ウインド【静岡県菊川市下平川2261】

【立地】丘城

【歴史】城山〔標高36m、比高30m〕に築かれた平山城で、後、東隣りの千畳敷〔標高
40m〕辺りに主要部が移されたと云う。1513年8月今川氏親より松井山城守宗能は下
平河を与えられている為、この時期の築城とされる。1514年氏親の命で松井左衛門亮信
薫〔貞宗の子〕が二俣城主となり、下平川の一部も所領に含まれた。1528年今川氏輝よ
り父松井山城守宗能→八郎貞宗へ相続を認められる。1529年二俣城主松井左衛門佐信薫
が病没。享禄年間(1528〜1532年)末、松井貞宗が二俣城主になる。1559年今
川氏真より貞宗→松井佐衛門佐宗信へ代官職の相続を認められた。1560年5月「桶狭間
の戦い」で今川義元とともに宗信も討死。同年12月今川氏真より松井八郎宗恒が所領・代
官職を安堵される。1565年宗親が駿府城で今川氏真に謀殺された。その後、松井氏は武
田氏に属し、1572年武田信玄・1573年武田勝頼より所領を安堵され、堤城は天正年
間(1573〜1593年)以後に廃城となる。現在は曲輪、土塁、堀切が残る。

【所感】牛淵川に架かる県道37号線〔掛川浜岡線〕城下橋の東に城山が在ります。城山下
バス停横の脇道を入ると、堤城趾の碑、通り過ぎた奥に墓地〔城山霊園〕が在り、ここに車
を停めました。城山の階段を上ると、右手に松井左衛門尉信薫夫妻の供養塔、左手の腰曲輪
に堤城跡の碑。正面に天満天神社が建つ二の曲輪、右手の丸太段を登ると本城曲輪。一段高
くなった水道施設跡、奥に津島神社・八幡神社が在ります。城山の北に堀切が残り、居館は
城山の東麓の墓地・住宅辺りとされます。旧主要部の城山に対し、東隣りに在る大きな丘陵
が新主要域と言われています。春日神社を経て丘陵東側へ回り込みと、ハウスが建つ平地が
大手屋敷と呼ばれる居館跡。その西の急斜面上にV字型の千畳敷と呼ばれる広い曲輪、南方
に幾つか腰曲輪が配され、嘗ては全て茶畑になっていました。現在は茶畑を止め、荒廃した
状態で登ることすら出来ません。いつか城山のように、誰もが登って遺構が確認出来るよう
になることを信じています。




城山(旧主要部)遠景



堤城趾の碑



城山(旧主要部)登城口



松井左衛門尉信薫夫妻の供養塔・城山(旧主要部)




堤城跡碑が立つ二の曲輪南の腰曲輪・城山(旧主要部)



天満天神宮が建つ二の曲輪・城山(旧主要部)



本城曲輪に在る城山最高所の水道施設跡



本城曲輪に建つ津島神社と八幡神社・城山(旧主要部)



本城曲輪東側の堀切



春日神社



大手屋敷跡・新主要部



嘗ての千畳敷と堤城 千畳敷趾の石碑・新主要部



千畳敷の南へ続く曲輪・新主要部