美作 津山城
Tsuyama castle

津山城跡・鶴山公園【岡山県津山市山下135】

【立地】平山城
【別称】鶴山城

【国指定史跡】津山城跡

【歴史】嘉吉年間(1441〜1444年)、美作の守護職山名教清の一族山名忠政が、鶴山に城砦を
築いたことに始まり、津山城の北西麓に残る御厩堀と薬研堀がその遺構と云われる。戦国末期、美作国
は岡山城主宇喜多秀家の領地の一部であったが、1600年「関ヶ原の戦い」で秀家は西軍に与して除
封され、小早川秀秋の所領となる。1602年秀秋病没、嫡子無く改易となり、1603年森忠政が信
濃国川中島14万石から美作国18万6500石へ移り、津山藩を立藩。忠政は美濃国金山城主森可成
の六男で、1570年9月「姉川の戦い」」の際、可成は近江国宇佐城を護っていたが、浅井・朝倉連
合軍に攻められて戦死。次男長定〔蘭丸〕・三男長隆〔坊丸〕・四男長氏〔力丸〕は、1582年「本
能寺の変」で織田信長とともに討死。1584年4月「小牧、長久手の戦い」で嫡男長可が戦死。15
歳の忠政は豊臣秀吉から兄の遺領金山城7万石を与えられ、1600年「関ヶ原の戦い」で徳川方に属
して戦功を上げ、信濃国川中島14万石を得た。1603年忠政が鶴山の地に築城を始め、1616年
完成、地名を鶴山から津山に改めた。同時に城下町、支配機構を整え、国内総検地を実施するなど藩政
の基礎を固めた。忠政の子重政・忠広は既に没していた為、跡継ぎとして娘婿で甥の関成次の嫡男兵助
を定め、1634年忠政が京都で客死すると、兵助〔長継〕が家督を継いだ。長継は城下町完成と耕地
拡大に努め、1674年致仕したが、その直前に嫡男忠継が没し、次男長武が忠継の子長成が成長する
までという条件で家督を継いだ。その後、隠居した長継×長武、長成×長武との間で対立が生じたが、
1686年16歳の長成が家督を継ぎ、長武は隠居料として2万石を分与された。長成は幕命により武
蔵国中野村に犬小屋を普請することになり、莫大な藩費を注ぎ込んで竣工。1697年長成は病没、長
継の二十四男衆利を末期養子に願い出て許されたが、衆利が出府途次に発狂失心した為、津山藩を収公
された。長武の父長継は健在であった為、衆利没後、備中国西江原2万石を許され、嫡子長直が相続し
て播磨国赤穂に移封、辛うじて家名を伝え、更に森長俊が播磨国三日月藩1万5000石、関長治が備
中国新見藩2万石の支藩存続が認められた。森家改易後、一時幕領となったが、1698年松平(越前
家)宣富〔長矩〕が新封10万石で入封。1721年宣富が没し、その子浅五郎が家督を継いだが、1
726年嫡子が無いまま11歳で急逝、松平知清の三男長煕の後嗣が認められたが、領地は5万石に減
封となった。1735年長煕が没し、松平宣維の次男長孝を継ぎ、1762年その子康哉が相続した。
康哉は名君の誉れが高く、善政を布き、学問を奨励したので、蘭学医術の先覚者宇田川榕庵・箕作阮甫
ら大学者を輩出し、鞍懸寅次郎・井汲唯一らの勤王の志を生んで、世に津山藩の名を高らしめた。18
69年6月版籍奉還して知藩事に任ぜられ、1870年廃城、1871年7月廃藩置県を迎えた。18
75年天守・建造物が取り壊され、1900年鶴山公園となり、1963年国指定史跡、2005年備
中櫓復元、2006年太鼓塀が復元されている。現在は曲輪、石垣、井戸跡などが残る。


【所感】事前に雑誌などを見て全体の雰囲気を掴んで来たつもりでしたが、実際に訪ねてみると、想定
外の石垣の量でびっくり!どういうコースで回ろうか?考えてしまいました。本丸までのアプローチは
桝形や食い違いの門が連続する道筋で、本丸では合坂が並ぶ櫓台が在ったり、栗積櫓台・大戸櫓台辺り
の感じ、天守台×備中櫓間のごちゃごちゃした感じもイイ。「百聞は一見に如かず」。岡山県へ行った
際は「岡山城」「備中松山城」「鬼ノ城」と合わせて「津山城」の石垣も見て下さい。





本丸

 

天守台・本丸



天守台西側の多聞櫓跡・本丸



天守台南側の六番門跡・本丸



天守台から見た五番門跡・本丸



天守台から見た八番門跡と長櫓台・本丸



七番門跡・本丸

 

涼櫓跡・本丸〔写真:左〕腰巻櫓跡・本丸〔写真:右〕

 

常用の井戸・本丸〔写真:左〕粟積櫓台・本丸〔写真:右〕

 

長屋櫓台・本丸〔写真:左〕裏切手門跡・本丸〔写真:右〕



裏鉄門跡



大戸櫓台・本丸

 

七間廊下跡・本丸〔写真:左〕十一番門跡・本丸〔写真:右〕

 

瓦櫓跡・本丸〔写真:左〕太鼓櫓台・本丸〔写真:右〕


 

十二番門跡・本丸〔写真:左〕桜門跡〔写真:右〕



月見櫓跡と矢切櫓跡・本丸



復元 備中櫓

 

備中櫓1階〔写真:左〕備中櫓2階〔写真:右〕



表鉄門跡



鼓櫓台と十四番門跡

 

辰巳櫓台




切手門跡と弓櫓台

 

小姓櫓台〔写真:左〕色付櫓台〔写真:右〕



裏中門跡



飯干櫓跡・明道寺櫓跡・荒和布櫓台

 

肘櫓台・肘櫓跡



裏下門跡

 

紙櫓台〔写真:左〕肘櫓跡〔写真:右〕

 

白土櫓台〔写真:左〕白土櫓跡〔写真:右〕

 

長柄櫓跡から見た昇櫓台〔写真:左〕昇櫓跡から見た長柄櫓台〔写真:右〕



二の丸

 

四足門跡・二の丸〔写真:左〕走櫓台〔写真:右〕



表中門跡



三の丸

 

長屋門跡・三の丸〔写真:左〕火薬蔵・三の丸〔写真:右〕

 

十八番門跡〔写真:左〕見付櫓台〔写真:右〕

 

厩堀〔写真:左〕薬研堀〔写真:右〕

 

三の丸南面の石垣〔写真:左〕三の丸虎口〔写真:右〕

 

森忠政公の座像と看板〔写真:左〕史跡 津山城跡の石碑〔写真:右〕