紀伊 鵜殿城
Udono castle
鵜殿城跡【三重県南牟婁郡紀宝町鵜殿】
矢渕中学校【三重県南牟婁郡紀宝町鵜殿20】
紀宝町ふるさと歴史館【三重県南牟婁郡紀宝町鵜殿102−1】
【立地】平山城
【町指定史跡】
【歴史】熊野川に向かって伸びる尾根の先端〔標高40m、比高35m〕に築かれた平山城
。築城年は定かではないが、南北朝時代(1337〜1392年)以前とされる。鵜殿氏は
高倉下命の末孫とされ、1341年南朝方として忠誠を尽くしたが、1343年北朝方に属
したことから、1382年北山勢の攻撃を受け、有馬庄司・熊野山らと共に防戦したが、9
月18日落城となった。鵜殿氏は新宮社家の一人で、代々鵜殿村を領して鵜殿氏を名乗った
。戦国時代、鵜殿長将・長持が三河国蒲郡へ移り、長将→長持→長照→氏長は上ノ郷城主と
して続いた。現在は山林となる、曲輪、土塁、横堀の一部が残る。
【所感】『紀宝町ふるさと歴史館の横『ふるさと歴史公園』に登城口があり、山上に見える
展望台を目指して登ります。遺構は横堀→土塁に囲まれた円形の主郭→横堀の順に並び、単
郭の縄張りですが、特に主郭を囲む土塁がよく残り、この城跡のお勧めです。私が住む三河
地区には鵜殿氏が城主の上ノ郷城跡が在りますが、今回、大河ドラマ『どうする家康』の影
響から鵜殿長照のルーツを探すために鵜殿城跡を選びました。城跡撮影後、お墓を訪ねたく
周辺を探していましたが、お寺ではなく、貴祢谷社〔御祭神:熊野速玉大神・熊野夫須美大
神・宇津御子大神〕に在ることが分かり、再び、参道を探すことに…。矢渕中学校グランド
西端に参道口を見付け、貴祢谷社の奥に『鵜殿氏一門の墓』がありました。1城のために車
を走らせましたが、目標が達成出来て大満足の遠征でした。
登城口・ふるさと歴史公園
登城道・矢渕ふれあいの森
主郭南側の横堀の一部
円形の主郭
主郭展望台から見た景色
主郭を囲む土塁
主郭北側の横堀
貴祢谷社
鵜殿氏一門の墓・貴祢谷社