三河 宇利城
Uri castle
宇利城跡【愛知県新城市中宇利字仁田】
【立地】山城
【別称】宇利村古城
【県指定史跡】
【歴史】文明年間(1469〜1487年)、熊谷重実が城山〔標高163m、比高90m
〕に築いた城とされる。1529年西三河を平定した松平宗家7代清康は東三河攻略を始め
、1530年実長の時、宇利城を攻撃。松平右京亮親盛〔清康の祖父〕、松平内膳正信定〔
親盛の弟〕などが参戦。先ずは城下に火を放ち、大手は親盛・信定・一門衆で、搦手は清康
・旗本衆で攻め込んだ。内応者を作って城中に火を放ち、落城させた。1535年「守山崩
れ」で清康が殺害され、今川領となる。1560年「桶狭間の戦い」で今川義元が討たれ、
松平宗家9代松平元康の再攻略で三河を平定。その後、廃城となる。現在は曲輪、土塁、堀
、井戸跡、石垣が残る。
【所感】東名高速道路宇利トンネルの山ではなく、北3キロ程に宇利城跡は在ります。県道
81号線中宇利信号交差点の場所に宇利城跡の専用駐車場が在り、ここに駐車して城跡へ向
かいます。登城口まで案内板があり、途中、御馬屋平や松平右京亮親盛の墓・井戸跡・石垣
などを経て、頂の本丸・姫御殿に着きます。本丸の北西端にその先の納所平へ降りる斜面が
在り、本丸との間に堀切も在ります。この堀切は本丸の西側に堀として回り込んでおり、そ
の先は三日月の曲輪で終わっています。本丸×姫御殿間も堀で仕切られ、それぞれの虎口の
脇には土塁も設けられています。清康が落城に苦戦した要害の地であったことは、登ってみ
て少し分かるような気がしました。
宇利城跡遠景
宇利城跡入口
登城道の始まり〔写真:左〕登城道〔写真:右〕
本丸―御馬屋平の分岐点〔写真:左〕松平右京亮の墓―本丸の分岐点〔写真:右〕
松平右京亮の墓
御馬屋平・五の曲輪
登城途中右手の井戸跡〔写真:左〕石垣遺構へ向かう途中の井戸跡〔写真:右〕
本丸南西尾根の石垣
本丸―姫御殿間の堀
姫御殿・二の曲輪
本丸
宇利城址の石碑・本丸〔写真:左〕熊谷備中守実長碑〔写真:右〕
本丸―納所平間の横堀
納所平・三の曲輪
本丸東側の堀