遠江 宇津山城
Uzuyama castle
宇津山城跡【静岡県湖西市入出】
正太寺【静岡県湖西市入出800】
【立地】平山城
【別称】鵜津山城・宇津山古城
【歴史】1506〜1524年頃、今川氏親が三河侵攻・浜名湖の水運の支配・遠江−三河
の国境監視を目的に浜名湖西岸に築いた城とされる。1499年頃、今川氏は三河への侵出
を試みるが、東三河の二連木辺りまで勢力を伸ばしていた戸田宗光に阻まれ、国境近くに船
形山城に築いて多米又三郎を置いたが、同年、戸田氏に落とされた。1500年今川氏の将
朝比奈泰以の軍勢が船形山城を奪回し、戸田宗光は渥美半島へ退いた。1505年豊川沿い
に今橋城を築いて牧野成時を城番としたが、1506年成時は今川家より離叛し、同年、今
川氏の攻撃で落城した。宇津山城主は長池六郎左衛門尉親能、次に小原備前守親高が入り、
享禄年間(1528〜1532年)以降は今川の重臣朝比奈氏泰−孫六郎−泰忠−真次らの
居城となった。1560年「桶狭間の戦い」で今川義元が討たれて後、三河を平定した家康
は、1568年遠江侵攻を開始。遠江国西部に於ける今川氏の属城は次々と家康に内通し、
1569年大原資良も宇津山城を捨てて駿河へ退いた。この後、宇津山城に松平家忠が入り
、正太寺鼻に拡張工事を行い、1572年松平備後守清善が1000貫を得て在番となった
。現在は曲輪、土塁、石垣などが残る。
【所感】県道333号線の東端、遠鉄バスの終点入出東バス停横に正太寺が在ります。正太
寺を挟んで西側に宇津山城郭、東側に正太寺鼻城郭の2つの城跡が在り、それぞれに本丸、
二の丸を持っています。宇津山城郭は正太寺横の舗装路から車で上ることが出来ます。終点
のトイレ、鳥居、祠、歴史看板が在る場所が本丸で、背後に見て分かる土塁が在り、北方へ
二の丸、三の丸と続きます。「宇津山城跡散策コース」の看板に従って奥へ進むと、二の丸
西側の帯曲輪に着きます。南端に虎口が在り、土留め石垣を持つ土塁に囲まれた曲輪は南北
に細長く、曲輪内に井戸跡が2ヶ所在ります。正太寺鼻城郭は正太寺に車を止めて歩いて行
きます。宇津山城郭へ向かう舗装路を真っ直ぐ上ると、民家へ向かう脇道が在り、この道を
入って民家手前右側の未舗装路を進みます。最終地点が畑地になっており、この敷地の手前
側が本丸、奥が二の丸になります。特に仕切りとなる土塁、段差などは在りません。畑地を
左へ進むと、戻るように細道が在り、ここに「宇津山古城趾」の石碑が立っています。この
石碑の場所がよく分からず、始めは南側に広がる竹林を進もうとしましたが、歩けないほど
密集しており、最後に見つけた道が畑地からでした。宇津山城跡は訪ねやすい状態になって
いるのに対し、こちらの石碑は非常に分かり辛い場所に隠れていますが、これは最初に宇津
山城跡として紹介していた場所が正太鼻城郭で、後の調査で宇津山城郭が確認されたことに
よるものです。
正太寺入口
正太寺
主郭北端の土塁・宇津山城郭
三の郭西端の土塁・宇津山城郭
三の郭・正太鼻城郭
三の郭西端の土塁・正太鼻城郭
宇津山城郭から見た富士山〔写真:左〕宇津山古城趾の石碑・正太鼻城郭〔写真:右〕