三河 和田城
Wada castle
【愛知県新城市作手保永字中島3−2】
【立地】丘城
【別称】和田村古城
【歴史】1537年「石橋合戦」で、奥平主家に背いた石橋城主石橋弾正繁昌を奥平出雲守
勝次が討ち、1539年作手奥平宗家4代貞勝より和田を与えられて築いた城である。14
33年作手奥平宗家初代貞俊が亡くなり、弟定直は次男貞盛に和田の地を与えた。貞盛は和
田氏を称し、2代貞寄、3代勝次と続いた。貞寄、勝次父子は岩波城主でもある。現在は茶
畑、山林、宅地に変わり、曲輪、土塁、堀切が残る。
【所感】国道301号線、県道527号線〔旧本宮山スカイライン〕が交差する和田信号を
北へ600m程進んだ右の脇道を入り、次の三叉路を右へ曲がった最高部が城跡です。北へ
伸びる比高15m舌状丘陵端で、茶畑が目印です。山に囲まれた集落で、城跡を囲むように
民家が在ります。主郭の道を挟んだ南側に土塁が在り、その裏に尾根を遮断するように堀切
が在ります。
主郭〔写真:左〕主郭下の段郭〔写真:右〕
主郭を分断する道・右側に土塁〔写真:左〕土塁〔写真:右〕