出羽 脇本城
Wakimoto castle

脇本城跡【秋田県男鹿市脇本脇本字七沢外】
菅原神社【秋田県男鹿市脇本脇本字七沢35】

【立地】山城

【国指定史跡】脇本城跡
【県指定史跡】
【市指定史跡】

【歴史】築城年は定かではないが、15世紀には既に機能していたとされ、標高100mの
丘陵に築かれた「生鼻先・内館地区」「馬乗り場〔古館〕地区」「兜ヶ先地区」から成る広
大な城郭である。1577年檜山城主であった安東愛季の居城となり、大規模な修復をして
いる。1587年愛季病没後、1589年湊騒動の際、愛季の子実季が籠城を考えたが、檜
山城へ逃れたと云う。城主に脇本五郎脩季、安東友季、湊摂津守氏季の名もある。廃城年は
1590年とも、1602年佐竹義宣の秋田入封時とも云われる。2004年国史跡に指定
され、現在は曲輪、土塁、虎口、井戸、空堀、堀切、竪堀、竪土塁など多くの種類、数の遺
構が残る。


【所感】県道59号線生鼻崎トンネル東口から東へ200m程進んだの左手に「国指定史跡
・脇本城跡」の看板が在り、その横に生鼻先・内館エリア、菅原神社へ向う車で行ける登城
道が在ります。馬乗り場〔古館〕エリアの登城道は、更に100m程東へ進んだ左手の本明
寺横に在ります。今回は最も整備された生鼻崎・内館エリアを訪ねました。城跡を見た第一
声は「大きいなー」。天下道跡を堺に北東側に内館地エリア、南西側に生鼻崎エリアと大き
く2つに分かれます。内館エリアには井戸跡と幅のある空堀、高さ4m程の大土塁が在り、
これだけでも充分満足出来る遺構です。生鼻崎エリアは家臣の館跡地とされますが、とにか
く景色が素晴らしい。本州南へ、男鹿半島へ延びる海岸線、内陸の寒風山が一望出来、かな
り高い位置に在ることが実感出来ます。


 

登城口〔写真:左〕脇本城跡入口〔写真:右〕

 

内館の空堀〔写真:左〕内館の大土塁〔写真:右〕

 

館跡群跡から見た内館〔写真:左〕家臣館跡群跡から見た男鹿半島方面〔写真:右〕