三河 渡城
Watari castle
渡城跡【愛知県岡崎市渡町東浦45】
諏訪神社・渡古戦場跡【愛知県岡崎市渡町井領7−1】
実相寺【愛知県西尾市上町下屋敷15】
【立地】平城
【別称】渡村古城
【歴史】1167年「承久の乱」の後、平氏を祖とする鳥居中務が紀州熊野を追われ、移住して城を築
いたことに始まる。天文年間(1532〜1554年)、17代忠吉は松平宗家7代清康、8代広忠に
仕え、その子元忠〔1539〜1600年〕は家康に仕え、1590年家康関東移封に伴い、下総国矢
作城4万石へ移った。その後、鳥居氏は代々当地に残り、本家は〔途中、嫡子が無く、養子姓を名乗り
〕長嶋氏に改め、分家〔隣宅〕は鳥居氏を名乗った。現在は長嶋氏宅に土塁が残り、入口に城址碑、隣
宅には鳥居氏発祥地の石碑が立つ。
【所感】JR東海道本線の北、矢作川に西で木々に囲まれたお宅が城跡です。始めに「鳥居氏発祥地」
の石碑、次に東隣りのお宅で「渡城址」の石碑を見付けました。石碑の写真を撮っていたら長嶋氏の主
人に声を掛けられ、城のお話と大事に管理されている土塁の写真を撮らせて頂きました。また、当地か
ら東海道本線、県道48号線を越えた南西800mの地に「渡古戦場跡〔諏訪神社〕」が在ります。1
547年岡崎城攻めに動いた松平信孝勢×矢作川を越えて進軍する松平広忠勢の戦いで、渡河原で激戦
の末、信孝勢が勝利し、広忠勢は松平忠次・鳥居忠宗を失いました。
渡城址の石碑〔写真:左〕長嶋氏家譜の石碑〔写真:右〕
西側の土塁〔写真:左〕土塁北西角に建つ稲荷神社〔写真:右〕
北側の土塁〔写真:左〕土塁北東端のお不動様〔写真:右〕
鳥居源七郎忠宗之墓・鳥居久太夫重久の墓・鳥居氏発祥地の石碑
渡古戦場跡の石碑・諏訪神社〔写真:左〕鳥居元忠公の墓碑・実相寺〔写真:右〕